HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
現政権と与党が数の力で成立させた法案は・・・
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    後日、束にして廃案にすれば良いでしょう。ある意味「ほとんど病的」ですので。(外務大臣「次の質問どうぞ」4連発???)

    | かまた | 時事関連 | 09:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
    安倍政権を総括すれば・・・
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      徹底的な民主主義、民主政治の破壊・・・としか言い様がない。何故なら一貫して徹底的に「民意と無関係な結果」をもたらし続けてきたからだ。そこで改めて「民意とは何か」を問うならば、一重に「誰しもが公平、平等と実感できる生活環境の提供と安全保障」に尽きることは民主主義を掲げる限り言うまでもない。しかるに格差社会を助長し、防衛力(=軍備)増強により戦争の脅威を増大させつつ、それ(=民意)と真逆の方向に突き進んできたのが安倍政権ということになる。

       

      ただ、安倍政権のおかげでたいへん良くわかった事も有る。それは「選挙制度による民意の反映と民主政治の実現は絵に描いた餅でしかなかった」という事だ。何故なら「金権政治」という言葉もある通り、大概のことは金と権力(=暴力?)で操作できるからだ。その意味で社会の内側は「制度」という形骸を残して、既に破壊し尽くされていると言って良いだろう。それ故、選挙のたびに殊更「民意をお示し頂いた」などと、逆にそこを強調したがる気持ちもわかるというものだ。然るに「ナチスに学べ」とはそういうことだ。

       

      つまり、安倍政権はナチスに学び、我々国民は「安倍政権に学んだ」ということ。但し反面教師としてだが・・・。そして「学び」とは「活かす」ためにあるということ!(来年はそれを活かす年。)

      | かまた | 時事関連 | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
      来年(2019年)は・・・
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        2019はたまたま語呂合わせでブレイク(brake)と読めない事もないが、そうでなくとも今年は様々な方面、事象に於いて図らずも「対峙による二分化」が鮮明となり、物事の本質が浮き彫りにされたことから、もし来年がその延長線上にあるとするなら当然それらの「結果現象」を目の当たりにすることとなり、実際そういう年であろうかと思われる。

        この「結果現象」が何を指すのかということだが、先程のブレイク(brake)に話を戻すなら、単にbrake(機能停止)かも知れないし、brake down(破壊)或いはbrake out(突発)、更にはbrake upbrake freeで表される何かかも知れないが、何れにしてもbrakeである限りは「平穏無事」という訳には行きそうもない。

         

        肝心な事は、これらはみな原因に基づくところの「結果現象」であって、その要因は(大雑把に言えば)私たちが皆で撒いた種に依るものゆえ、一旦は甘受する必要が有り、そののち速やかに再考、再構築が為されるべきと思われる。その意味では来年は私たちにとって、より良い社会への手がかり、足がかりが得られる年になるかも知れない。

        | かまた | 時事関連 | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
        最近何故かアクセス数が増えています。
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          何故か、このところ一日のアクセス数が100を超えることが多くなり、時折1000を超える様な日もあったりします。大半がおそらくカテゴリー「時事関連」の記事に対するアクセスと思われますが、当ブログの時事関連記事はほとんどが当方の別ブログ「青少年の何でも書き込み寺(大人も可)」にアップされたものの中から「一般向け」と思われる記事を抜粋し、転載しています。

          当ブログでは今まで「ブログの趣旨が異なる」として(押し付けがましさを避けるため)、敢えてそちらのブログへのリンクを用意していませんでしたが、記事への関心を持たれた方のために、この度サイドメニューのおすすめリンクに「青少年の何でも書き込み寺(大人も可)」を追加致しました。

          こちらは「みんなで良くしよう。みんなで良くなろう。」という極めてシンプルでわかりやすい主旨の下、多種多様なアプローチによる1000を超える記事をご用意させて頂いておりますので、併せて参考にして頂ければと思う次第です。

          | かまた | 時事関連 | 07:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
          なぜスポーツがトップニュースなのか?
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            私が子どもの頃は、テレビや新聞が日常的に扱うスポーツと言えば「野球と相撲」ぐらいのものだったから、30分のニュース番組で例えるならせいぜい「終盤の5分程度」がスポーツコーナーとしてそれに当てられれば十分という認識だった様に思う。当時のスポーツがニュースの中でそういう位置付けだった理由は、おそらく「娯楽であり国民の生き死にや社会の安心安全に直接関係が無い」ということだったと思われる。これは逆に言えば、ニュース(=報道番組)とは「国民の生き死にや社会の安心安全に関わる日々の出来事」を過不足なく伝えることが目的という事になる。

             

            翻って昨今は野球、サッカー、相撲に限らず、フィギュア、卓球、テニス、ゴルフ、陸上、水泳、バレー、ボクシング、柔道、スキージャンプ、カーリング・・等々(順不同)、多種多様なスポーツがニュース(やワイドショー)のトップを飾ることが珍しくも何ともなく、極めて日常的になっている。これは前述のニュースの目的から言えば、NHKを初めとするマスコミ各社が国民に対して「これは皆さんの死活問題よりも大事な今日一番の出来事です」と言っているに等しい。

             

            もしこれが私自身も長年関わってきた(スポーツと同じくエンタメであるところの)音楽がこのような「おかしな扱い」をされたら、当然の如く強い違和感を禁じ得ないに違いない。これは決してスポーツや音楽を卑下するということではなく、単純にマスコミを通じて国民に提供される情報は「死活問題を優先にして欲しい」との思いからだ。(もちろんNHKやマスコミ各社が頑なにスポーツをトップニュースとする意図は判明しているが・・・)

             

            少なくともこのように価値観の倒錯した世の中が、国民のためにならないことは事実だ。

            | かまた | 時事関連 | 09:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
            義務教育に於ける教育現場は既に崩壊している!
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              何故なら、教育に携わる教師の資質としての「人格」を問われることがないからだ。そのため逆に言えば殆どの教師の「人格」は、教育者としての基準を満たしていないと言える。これが学問や知識を教えるのみということであれば(良いとは言えないまでも)まだ弊害はさほどでもないかも知れないが、小、中学校の教師は(多くの学校の教育目標などにも掲げられている様に)自ずと子どもたちの人格形成や生活指導にも関わってくる。つまり教師が「そこそこの人物」であって(子どもたちの目線で)少なからず尊敬の対象となり得なければ、子どもたちがその言動に関心を寄せ、行動を注視するというような事は起きて来ないのは当然だ。故に百歩譲っても「教師が職務に相応しい一定の人格を備えていること」は教育の基本中の基本と言える。

               

              翻って今の教育現場は歪んだ教育理念、即ち多分に押し付け的な国家主義的愛国心及び郷土愛、更には社会に於ける即戦力を想定した詰め込み式てんこ盛り教育(という上からの命令)の遂行に汲々としており、中学校の五割超、小学校の三割超の教師が「過労死レベル」という調査報告があるにも関わらず、皮肉にもその命がけの勤務実態が殆ど功を奏することもなく、本来の教育目的であるところの「子どもたちの健全な育成」に対する貢献度は総じて「極めて低い」と言わざるを得ない。(たまたま健全に育つ子がいるとすれば、それは秀逸な家庭教育の賜物に相違ない。)

               

              勘違いしている輩が多いと思うが、学校は既成の国家や社会の矮小な下請けなどではなく、むしろより良い国家や社会を築いていくための、伸び伸びとした自由で斬新な発想の持てる個々人を育む場であるべきで、そうでなければ社会はたちまち活力を失い、やがて硬直化、形骸化、風化の一途をたどるしかない。(何故そう言えるのかと問われるなら、現状がまさにそうだからとしか答え様がない。)

              故に教師にあっては「公務員だからお上の言いなりになるしかない」という発想は明らかに間違いで、「それほど重要な役割を担っているからこそ、公務員として地位と生活を保証されている」という理解が正しい。

               

              もはや掃き溜めに埋もれている場合ではなく、心ある教育者の良心に基づく一念発起を期待してやまない。

              | かまた | 時事関連 | 11:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
              「発狂する」とはどういうことか?
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                一言で表すなら「理性の働きがほぼ失われ、論理的に物事を理解し判断することが決定的に出来なくなった状態」で、残念ながら政治家、官僚、財界人、知識人、マスコミ関係者などの中にも顕著な例が数多く見受けられる。何れもその特徴としては「論理を逸脱した自らの言動に対して羞恥心や後ろめたさの欠片も持ち得ない」ことに尽き、結果的に図らずも「嘘やデタラメを平然と言ってのける」こととなる。

                 

                ここでのポイントはそうした発狂状態での言動には、本人にとっての「ささやかな合理性は存在するかも知れないが、論理性が致命的に欠如している」ということで、そのこと自体が既に「自己破壊=自滅」を意味している。何故ならこの世は「真理→道理→論理」によって成り立っており、決して「合理性の産物」などではないからだ。(そのことが理解出来るか否かが「二分化」の原点とも言える。)

                 

                ※ 論理性と合理性の違いについては、過去に「論理性と合理性の違いについて」という記事が有り、そちらを参照して下さい。

                | かまた | 時事関連 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
                心は常に計測され数値化され評価されている!
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                  今日のタイトル「心は常に計測され数値化され評価されている」・・・こうした概念を持っている人は、今現在生きている人の中でおそらく圧倒的に少ないと思いますが、これは紛れもない事実です。何故ならそのようなシステムが実際に存在し、それが一年365日昼夜兼行運用されているからです。つまり「心」とは、決して我々が想像するようなアバウトなものではなく、漠然と存在するものでもなく、増して脳神経によって生み為される妄想的産物などではなく、むしろ理路整然と構築され認識されるべき存在であるということです。何故なら「心」こそが、人間の実像、実体そのものと言えるからです。ですから生きている人間の場合は「心」が本体で、体はそれに「付随するもの」として存在という認識が正しいのです。それが証拠に、心の状態は人相や風貌に反映しますがその逆は有りませんし、「心因性」といった診断の有無に関わらず、体調不良や病気の根源から「心の問題」を完全に切り離す事は困難で、むしろ不自然と言えます。(例えば生活習慣病など・・・)

                   

                  ところで「心は常に計測され数値化され評価されている」って・・・いったい誰に?・・・そんなこと、決まってるでしょう。とにかく自分の心と向き合うことです。

                  | かまた | その他 | 09:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  「○○は必要!」という勘違い(=誤認、錯覚)
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                    これは近年に於いてはもっぱらスマホ、SNS、インスタ、ラインなどを始めとする、主にネット上で主流とされている種々の会員サービスなどの大半に当てはまる事と言え、古くはテレビ、新聞などの慣習的な視聴、購読にも遡る。それらの共通する最大の特長は「便利」であることもさることながら、むしろ「それをしないと取り残される的な強迫観念」にあると言え、これはちょうどファッションに敏感な人が流行のファッションに乗り遅れた格好で街を歩く時に受ける「疎外感や劣等感」と同等か、より深刻なものと思われる。サービスへの依存度は人によって様々だろうが、場合によっては「無くてはならないもの」「無いと生きられない」ぐらいの感覚かも知れない。しかし現実にそれで生きられなくなるとは考え難く、その時点で既に物事や状況に対する誤認、錯覚が起きていると思われる。

                     

                    人が利便性の高いものや主流と言われるものに飛び付く気持ちも解らないではないが、その一方では同時にそうした新たな土壌や環境が様々な悪意の温床ともなり、詐欺や成りすまし、イジメ、ストーカー行為、誹謗中傷、フェイクニュース、不適切な煽動や勧誘、個人情報の漏洩などの被害が跡を絶たないのも事実だ。

                    現在の環境が「自分にとって本当に(正しい意味で)必要な環境」ならまだしも、必ずしもそうでないならわざわざ「荒れた環境、危険を伴う環境」に(ちょっとぐらい便利だからといって)身を投じる必要はないし、少しでも不安や違和感を感じたら可能な限り速やかに撤退すべきだと思う。そうしたからといって後々困る事など殆ど無い。

                     

                    因みに自分の場合、現時点で主流とされているサービスの殆どに未加入、もしくは撤退していますしスマホも持っていませんが、社会生活上も何ら不便は感じておりません。パソコンもLinuxで十分。(スタンドアローンの作業用Windowsは有りますが)

                    所詮、個人的環境に於ける便利とか不便とか必要とか不要とかは自分で感じて決めることだと思っています。

                    | かまた | 時事関連 | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    せっかちな人には判らないかも知れないが、
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                      世の中は嘗て無いほど猛烈なスピードで「従来的価値感の崩壊及び再構築」が起きています。それは端的に言えば「行き詰まりの結果による当然の帰結」としてもたらされていると考えられます。それは国際社会然り、日本社会然り、また個々人の内面に於いても然りであって、何れも「無理を重ね続けた結果の表れ」と見ることができます。何故なら「無理は理に無いこと」であって、一旦は押し切ったとしてもそれは極めて不自然、不安定な状態に過ぎず、土台保つ事自体が不可能な代物だからです。

                       

                      物事は(人人の思惑はいざ知らず)全体としては必ずや現状をより自然でより安定的な状態に移行させようという方向性と力が働くもので、それをいち早く感じて流れに沿った生き方を選択することが重要かつ正しいと言えるでしょう。何故なら(物の道理として)個々の繁栄や発展も当然その先にしか無いと考えられるからです。

                       

                      一方で、そうした自然の摂理に準じた流れを無視、或いは感じることすら出来ずに、相変わらず「従来的価値観に固執した生き方から脱却出来ない人々(例えば金と権力、弱肉強食etc...)」もいますが、前述の理由によって既に「一寸先も闇」のリスクが迫っていると考えて良いでしょう。というより現状の「固定観念自体が既に何も見えていない状態」というのが正しい認識です。(ハッキリ言って危険です!)

                      | かまた | 時事関連 | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
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