HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
ここに来て「衆議院解散」か?
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    森友、加計問題で追い詰められた安倍晋三その人の(史上稀に見る)「あの手この手の往生際の悪さ」には恐れ入るばかりだが、考えてみれば根っからの悪人に往生際のよろしい人間がいる訳がない。悪事に手を染めながらも往生際が良いというのは、出来心や何らかの事情を持った(半ば覚悟の上の)犯罪行為であって、そういう人々は「根っからの悪人」には程遠いと言える。そういう意味では過去の政治家にも「根っからの悪人」は、そう多くはなかったと言えるのかも知れない。

     

    ということは「往生際」が悪ければ悪いほど、その人は自ら「私は根っからの悪人です」と白状していることになりはしないか?

    | かまた | 時事関連 | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
    大久野島・・・・・?
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      昨日、夕方の民放テレビのニュース番組で「大久野島(おおくのしま)の700匹のウサギを見て外人観光客が大喜びで何たらかんたら・・・」というハッピーな映像とナレーションが飛び込んできた瞬間、何だかわからない得体の知れぬ違和感を感じた。

      「大久野島?・・・・・ウーン・・・何だっけな?」

      大久野島・・・それはかなり遠い記憶を呼び起こす響きだった。確か小学生の頃・・・・・。それもウサギや観光客がどうのこうのとは何の関係もない、もっとシリアスなイメージの記憶。

      あまりにも気になったので、すぐさまパソコンのある部屋へ行き、「大久野島」を検索する。そして合点がいった。

       

      自分の遠い記憶の中の「大久野島」、それは旧日本軍唯一の毒ガス製造工場があった、いわゆる「毒ガス島」としての大久野島だったのだ。

      当時、おそらく小学校の社会見学か何かで行ったことがあったのかも知れないが、残念ながらその記憶までは残っていない。しかし同様の社会見学で「お台場」の砲台跡を見に行った記憶はある。(私は小学校時代を東京と広島で過ごしている。)

       

      それが今は、そうした歴史の片鱗さえも感じさせない(=伝えられることさえない)れっきとした行楽地にどちらもなっている事に、何か釈然としないものを感じる。

      取り分け大久野島は数十年前までは決して「安全と言い切れる場所」ではなかったはずだ。だからこそ未だにウサギを放し飼いにして・・・などと有らぬことまで想像してしまう。

      | かまた | 時事関連 | 14:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
      物事を「従来の延長線上」で考えてはいけない時代
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        当たり前のことですが、物事を「暫定的かつ限定的」に従来を継承し、その「延長線上」で考え、進めて行くことは有り得るでしょう。しかしそれはあくまでも「物事が行き詰まる前までの話」に過ぎません。

        明らかに「行き詰まり、手詰まり」の状態であるにも関わらず、なおもその延長線上に留まり続け、もがいたりあがいたり、或いはその状況を耐え忍び続ける事に何の意味もないばかりか、むしろ自己破壊的な病的行為とすら思えてなりません。

         

        例えば近年「死ぬほど辛いなら絶対に学校へ行くな」とか「そんな会社は今すぐ辞めろ」などと言われる様になってきたのもその一貫で、それはその通りだと思います。何故なら「学校へ行くことは子どもの権利」であり、会社(仕事)を選ぶことも国民の権利であって、断じて「続けることが義務ではない」からです。

        このように「行き詰まったら物事の論理的原点に立ち返って思考し行動する」ことが求められ、それが自分にとっても社会全体にとっても「後日良い結果」をもたらすと信じて構いません。何故なら、それ以上に「論理的で正しい方法」を思い浮かばないからです。

         

        その昔、一般的な自由主義経済の理論が「人間の際限の無い欲望という前提の上に成り立っている」と知って愕然となった覚えが有ります。つまり世界経済や複雑な経済システムが「人間の強欲」によって動かされているという話ですから、それでいったいどうやって世界平和、平等で公平な社会を目指そうと言うのでしょうか?少なくともその「延長線上」でものを考え続ける限り、無理難題(=非論理的)と言わざるを得ません。

        政治、経済に限らず、今やそういった「馬鹿げた話」は科学、産業、医療、教育など、社会のいたるところで蔓延っていますが、何れどこかの時点でリセットされる事となるでしょう。

         

        即ち、私たちの喫緊の課題は、今の内にそうした事態に対応可能な認識と心構えを養っておくことだと思います。

        | かまた | 時事関連 | 11:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
        「日野皓正氏中学生に往復ビンタ報道」について
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          この件の詳細についてはテレビなどでも繰り返し報道され、既に多様な記事がネット上にも溢れていると思われますので、ここでは特に説明したりリンクを貼ったりは致しません。(私心を含まない客観的な記事が少ないためもあります。)

           

          プロフィールにもある通り、私も音楽、それも演奏(アンサンブル)を生業としてきた者の一人として、この件に無関心ではいられませんし、そもそも「青少年の健全な育成」を目的とした当サイトでスルーして良い問題とは思えませんので、自分なりの見解を明らかにする必要が有ると思っています。

           

          ところが困ったことに、この件の一報を見て最初に感じたことが(第三者が判断するには)「情報が(余りにも)足りない!」だったのです。

          例えば事件の発端とされる「ドラムの子のソロが長すぎて」という状況説明にしても、具体的に「何分何秒」と示してもらわなければ客観的な判断の指針には成り得ませんし、本質的にはコンサート全体、それが無理なら少なくとも問題の「アンコール曲の全体像」を見てみなければ「該当部分の客観的判断は不可能」というのが偽らざる気持ちです。

          ※ 週刊文春デジタルが有料会員限定で「動画の完全版」を公開しているようですが、そうした報道姿勢は少し残念です。

           

          但し上記は「これは音楽的に(或いはジャズ的に)どうなの?」と問われた場合の話です。そうではなく、単純に「中学生に対する教育的見地、指導的見地としてどうなの?」ということであれば、それは「イジメや万引きをした生徒に鉄拳制裁、体罰はアリか?」という話と同様で、現時点では「社会通念上それはアウト」とされているものと私は認識しています。

          つまり要約すれば(客観的に見て)「音楽的是非の判断は出来ない」「教育法、指導法としてはアウト」ということです。

           

          ところで今回の報道を受けて、巷では「中学生が悪い」を基調とした「日野氏擁護論」が多数派となりつつある様ですが、その根拠として(音楽的には)「世界の日野vs金髪中学生」という(凡そ勝負に成り得ないという)対立的構図が有り、そこには「世界の日野を怒らせたんだから、中学生が(音楽的に)よっぽど悪いコトをしたに違いない」という納得の仕方もあろうかと思われます。

           

          しかしそうなると(意識の有無に関わらず)「教育法、指導法」よりも「音楽的見栄え、出来栄え」の方が優先順位として「上位」ということになってしまいますが、それでは常々問題にされる「一般的な成果主義に基づく教師の体罰、暴言」とどこが違うのか判りません。

          もしかすると「世界の○○」と付くと許されるといった「権威主義」ということなのでしょうか。

          余談では有りますが、この件についてはミュージシャンなど「業界に近い人々」ほど同情的で、また「忖度」も働き、「擁護論」に傾くことが多いと思われます。

           

          しかしそのような中、知り合いの優秀なトランペッターで日野皓正氏と古くから面識を持つ或る人物が語ってくれました。

          「ボクは日野さん大好きだけど、(動画を見て)アレ〜って思いました。だって日野さんああいう(コトする)人じゃないもの。」

          「すっごく優しい人だから、(ああいうコトは)しない、しない。絶対おかしい。あれ変ですよ。」

          この方曰く、「日野さんは昔からとても分別のある人」とのことです。

           

          この話を聞いて「それが今更何故?」というところにこの問題の本質と奥深さがあるように思いました。

          | かまた | 時事関連 | 13:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
          進化論?・・・変化論だろう。
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            生物が環境に応じて徐々に機能の強化や退化を果たし、更に何世代か掛けてそれを固定化する。

            何故そういうことが起きるのかと言えば、あらかじめ「変化」の幅を持たせたプログラムが為されているからだ。

            だからもし、そういうプログラムの存在が無ければ、その生物は環境の変化を受けて死滅するしかない。

            このようにプログラムの範疇に於ける(=予め想定された)生物の変化を「進化」と認めるには違和感は否めず、ならばさしずめ「ダーウィンの変化論」というところか。

             

            ※ 実際、科学者の認識としても「進化=個体群内の遺伝子頻度の変化」として定義されているに過ぎず、そこに生物的「進歩、向上、前進」という意味合いは必ずしも存在せず、あくまでも「環境との相対的関係」のみである。

            | かまた | その他 | 12:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
            今、何が起きているのか?
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              社会に於ける「思想の紊乱(びんらん)道義の廃頽(はいたい)」がこれに極まり、我も我もと無数の悪が乱立するに至れば、当然社会全体に明白な実害が生じ、それにつれて危機感が増大するに及び、如何に寛容で辛抱強い人々の間にも、さすがに「これはまずい」と、方向性の「是正、矯正」の動きが起きてくる。

               

              おそらくは身近な事、自分たちの手近な問題を何とかしようと思って問題提起してみれば、何とそれが国家を揺るがす様な「巨悪」に繋がっていたという話にまで発展し、今度はその「巨悪」を追求する内に、芋づる式に周辺から末端に至るまでの「大小無数の悪」が絡め取られていくさまを、私たちは目にすることとなっている。

              つまり広くは「洗脳」、周辺に於いては「懐柔」によって、あらゆるものが繋がっていたということだ。

               

              何れにしても物事は「決まった通り」にしかならないし、それは「誰が勝手に決められる」というものでもない。

              ただハッキリと言えるのは、一人ひとりが「やるべきこと」をやれば、物事は必ず「決まった通り」になって行くということだ。そして「それが何か」を見定めることこそが、その人間の「甲斐性(=価値)」と言える。

               

              何故「決まった通り」にしかならないのか?それが「最も法則に忠実な論理的解答(=正解)」と呼べるものだからだ。更にそれが「人間の範疇に存在するものか?」と問われるならば、「本来在るべきもの」としか言い様がない。

              それが「理」という一言に集約されるものであるとするなら、もはや「無理の通らない時代」に突入したことを、私たち万人が推して知るべきだと思う。

              | かまた | 時事関連 | 10:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
              「思想の良し悪し」と「頭の良し悪し」は全く別物
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                通常「頭が良い」と言えば即、「論理的思考に長けている」と思われがちですが、決してそうではなく、実は「より論理的思考に長けている」のは、むしろ「思想が良い」人の方です。何故ならその人は常に「自分の良心」に基づく良識によって物事を判断出来るからです。

                 

                思想が良い証しである「良心に従う」ことがどうして「論理的思考」と呼べるのかについてですが、それはそもそも「良心」の実体が「高度な論理の集積」であり、私たちの内面で「理性」を司る役割を担うものに他ならないからです。

                 

                そして「理性」が物事の構造的理解を促す働きを持つものであるとするなら、その力(=論理性)は「良心」から引き出されたものと考えるのが自然です。更にはその「良心」を活用する由縁となるのが「良い思想」ということになり、結果として「思想が良い=論理的思考に長けている」という図式が成り立ちます。

                 

                但し、ここでいう「論理的思考」とは、単純に「数学や物理学の勉強が得意」という意味ではなく、万事に於いて「物の道理に沿った理解や判断が(無意識、無感覚に)出来る」状態を示します。(例えば優れた音楽作品なども「論理的構造物」と言えますが、通常そのことを私たちが意識することは殆どありません。)

                 

                では最後に「単に頭が良い」とはどういう状態を指すのかと言うと、「高度で本質的なレベルの論理を疎かにして、ともするとそれが欠落したまま、より下位の技術的理解に終始する状態」と言い表すことが出来ます。

                無論「思想が良く、頭も良い」のであれば「鬼に金棒」に違い有りませんが、重要なことは「優先すべきは何か」ということです。

                 

                ※ 「思想が良い」とは、自分や身内と他人を(少なくとも)同列に思え、扱える人。「思想が悪い」とは自分や身内と他人を(明らかに)同列に思えず、扱えない人。もっと言えば「人の痛みがわからない人」。

                | かまた | その他 | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
                日本軍の「毒ガス兵器」について
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                  日本は8月15日に72回目の終戦記念日を迎えたが、それに先立ってNHKが13日にNHKスペシャル『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』を放送、また15日にはTBSが『NEWS23』の中の特集番組として「綾瀬はるか「戦争」を聞く〜地図から消された秘密の島〜」を放送した。何れも旧日本軍の細菌兵器や毒ガス兵器といったいわゆる「非人道的」とされる兵器の製造や使用の実態に迫るものとなった。

                  (リテラの記事は以下のリンクをクリック)

                  『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』について

                  「綾瀬はるか「戦争」を聞く〜地図から消された秘密の島〜」について

                   

                  戦後72年を経てこうした報道が為される一方で、日本は長い間「731部隊の存在や毒ガス兵器の使用」などを国内外に対して表立って表明する事を避け、どちらかと言うと「曖昧模糊とした状態」にさせたがっているのを、私自身肌で感じてきたものだ。

                  しかし残念ながら、少なくともこのうち「毒ガス兵器の使用」に関しては(十数年前に)それを使用した元兵士から直接話を聞かされたので、それ以来個人的にはほぼ間違いないと思っている。

                   

                  その元兵士は当時戦闘機パイロットとして中国戦線で戦っていたそうで、その折「自分は飛行機から毒ガス入りの爆弾を投下した。」と、はっきりと言っていた。

                  何故私がその事を鮮明に覚えているかと言えば、ひとつは「そんなことを人前で堂々と言って良いのだろうか」という気持ちと、もうひとつには当時「毒ガスを爆弾に詰めて使用する」という知識の持ち合わせが無く、逆に「そうだったのか」という思いが強かったがためだ。

                  参考までに「毒ガス爆弾」の実物→ https://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/pamph2/1-1.pdf#search=%27%E6%AF%92%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%88%86%E5%BC%BE%27

                   

                  ということで、中国人に対する毒ガス兵器使用の信憑性は高く、その流れで言えば細菌兵器の使用も十分有り得たということになる。(どちらも同じ精神構造で使用出来るものだからだ。)

                   

                  何れにせよ、この際当時を知る当事者、関係者たちは洗いざらい証言した後、天寿を全うするのが誰のためにも良いと思う。

                  | かまた | 時事関連 | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  警察「不祥事」の実態→リテラの記事を読むべし!
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                    先日「高井戸警察署」が中学生に対して行なった「不当な取り調べ」(「不適切な取り調べ」ではない。何故なら取り調べの目的から完全に逸脱しており、取り調べと呼ぶに全く当たらないからだ。)について記事にしたが、昨日「リテラ」が大々的に記事にしてくれた事は喜ばしい限りであり、そこでは更に「警察の過去の不祥事の数々」までも列挙する形で、社会に対する問題提起がしっかりと為されている。

                     

                    リテラの記事はこちら→http://lite-ra.com/2017/08/post-3383.html

                     

                    こうした「警察不祥事の実態」を識るに付け、「ごく一部の心ない警察官(或いは警察官僚)が存在する」と考えるとしたら、それは「全く当たらない」と言って良い。そればかりかむしろ「半分以上はそうなのだろう」と思っても決して間違いではなかろうと思う。

                    何故なら、大多数の警察官や警察官僚がそんなに「真っ当」なら、警察自体が当然の如く、とっくの昔に「不祥事の起こり得ない組織」となっていなければ辻褄が合わないからだ。(そうしなければ居心地が悪くて仕方ないはずだ。)

                     

                    上記の理由から、現状の警察は「国民の信頼を得るに値しない」と見られても致し方ないだろう。それに口惜しさを感じるなら、心ある警察官、警察官僚は内部から「命がけで組織改革」を断行すれば良い。そんなことは容易いはずだ。(元々命がけで取り組むべき職種だからだ。)

                     

                    ※ 因みに私個人としても生涯を通じて警察とは関わりの濃い方で、小学生の時には「誤認による不適切な取り調べ」の実体験すら持っており、決して客観的な情報だけで判断している訳では有りません。

                    | かまた | 時事関連 | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    高井戸警察署の「不当な取り調べ」事件について
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                      警察への信頼を根底から覆し兼ねない、余りにもくだらなすぎる(口にするのも憚る)内容に付き詳細は差し控えるが、当時の署長の監督責任、署内の管理不行き届きは明白であるにも関わらず、左遷、更迭、処分されたという報道が為されないのはどういう訳だ。警察に限らず組織というものはそういうものだろう。それとも事の重大さが解っていないのか?だとすればこの際徹底した「指導、再教育」が必要なのは、むしろ上の連中に違いない。とにかく、そうした問題の本質をぼかすような「トカゲの尻尾切り」でお茶を濁そうとするのは止めた方が良い。(自分たちがクズであることを自ら告白するようなものだ。)

                       

                      外部リンクによる報道の詳細はこちら→https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170810-00000065-jnn-soci

                      | かまた | 時事関連 | 09:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
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