HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
進化論?・・・変化論だろう。
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    生物が環境に応じて徐々に機能の強化や退化を果たし、更に何世代か掛けてそれを固定化する。

    何故そういうことが起きるのかと言えば、あらかじめ「変化」の幅を持たせたプログラムが為されているからだ。

    だからもし、そういうプログラムの存在が無ければ、その生物は環境の変化を受けて死滅するしかない。

    このようにプログラムの範疇に於ける(=予め想定された)生物の変化を「進化」と認めるには違和感は否めず、ならばさしずめ「ダーウィンの変化論」というところか。

     

    ※ 実際、科学者の認識としても「進化=個体群内の遺伝子頻度の変化」として定義されているに過ぎず、そこに生物的「進歩、向上、前進」という意味合いは必ずしも存在せず、あくまでも「環境との相対的関係」のみである。

    | かまた | その他 | 12:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
    「思想の良し悪し」と「頭の良し悪し」は全く別物
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      通常「頭が良い」と言えば即、「論理的思考に長けている」と思われがちですが、決してそうではなく、実は「より論理的思考に長けている」のは、むしろ「思想が良い」人の方です。何故ならその人は常に「自分の良心」に基づく良識によって物事を判断出来るからです。

       

      思想が良い証しである「良心に従う」ことがどうして「論理的思考」と呼べるのかについてですが、それはそもそも「良心」の実体が「高度な論理の集積」であり、私たちの内面で「理性」を司る役割を担うものに他ならないからです。

       

      そして「理性」が物事の構造的理解を促す働きを持つものであるとするなら、その力(=論理性)は「良心」から引き出されたものと考えるのが自然です。更にはその「良心」を活用する由縁となるのが「良い思想」ということになり、結果として「思想が良い=論理的思考に長けている」という図式が成り立ちます。

       

      但し、ここでいう「論理的思考」とは、単純に「数学や物理学の勉強が得意」という意味ではなく、万事に於いて「物の道理に沿った理解や判断が(無意識、無感覚に)出来る」状態を示します。(例えば優れた音楽作品なども「論理的構造物」と言えますが、通常そのことを私たちが意識することは殆どありません。)

       

      では最後に「単に頭が良い」とはどういう状態を指すのかと言うと、「高度で本質的なレベルの論理を疎かにして、ともするとそれが欠落したまま、より下位の技術的理解に終始する状態」と言い表すことが出来ます。

      無論「思想が良く、頭も良い」のであれば「鬼に金棒」に違い有りませんが、重要なことは「優先すべきは何か」ということです。

       

      ※ 「思想が良い」とは、自分や身内と他人を(少なくとも)同列に思え、扱える人。「思想が悪い」とは自分や身内と他人を(明らかに)同列に思えず、扱えない人。もっと言えば「人の痛みがわからない人」。

      | かまた | その他 | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
      冷静でいられる時間は1日3%だけ?
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        ※本日の記事は極めて霊的性格の強い内容に付き、霊的に疑念をお持ちの方、影響を受けたくない方々にはお薦め出来ません。その旨あらかじめお断り申し上げます。

         

         

        この数字は平均的な人間のそれを示したものではなく、霊界の見立てに拠れば、人間が1日の内で冷静(=理性が先行、主導する在り方)と言える時間が3%も有れば「上出来の部類に入る」と言っているのです。つまり大方の人間は1日の内、冷静さが保たれている時間など「無きに等しい」という意味になります。

         

        私は今を遡ること40年前にこの話を聞いた、というか知った時、愕然としショックを受けたのを覚えています。1日24時間の3%と言えばたかだか43分12秒、並の人間にとって「人間らしい振る舞い」をすることは、その僅かな時間さえも難しいということですから当然です。

        私はこの話を瞬時に「真実」と認識し、そこから私の(自分自身に対する)挑戦が始まりました。

         

        この衝撃的な話には、更に衝撃的な続きが有ります。それは「人間はある程度の霊層に到達しなければ、自分の言葉(=自力)で話せない」というものです。これはどういうことかと言うと、世の中のいわゆる平均的な人間が日常的に話している言葉のほとんど全ては「自力で発している言葉ではない」という意味です。果たしてどれだけの人がそれを「事実」と受け止める事が出来るでしょうか。また、自分の言葉を自分が発していないとすると、いったい誰が発しているのでしょうか。

         

        それらは人間自身がこれまで自我(=自己中心)思想を発動させるたび、無意識無感覚のまま内部に作り続けてきた無数の「自我霊、想像霊と呼ばれる潜在自縛霊」によるものとされています。その特徴は一つひとつの思想、一件ごとの状況に対してそれぞれ「一体の霊」が作られ、以後同様の状況が訪れるたびに「人間に代わって言葉や行動を制御する」というもので、普段は腹部付近に位置し、要請が有ると延髄付近まで上昇して言語中枢を操ります。

         

        つまり、その状況を客観的に見れば、人間が「過去の自分に操られている」という意味を持つことになり、ただ過去と同じことを繰り返すばかりで、少なくとも目の前の現状には何ら対応出来ていない事になります。即ちそれが内部霊による「霊憑(がか)り」の特徴ということです。

         

        ですから、そういう状態にある人の話を聞いていると、その特徴がよく表れているものです。そういう人は過去と似たような状況になると、毎回判で押したように同じ言い回しで同じことを言います。その主張は前回と(気持ち悪いぐらい)同じもので、まったく何の進歩も進展も見られません。そして必ず同じ失敗をします。

        それは人間が「過去の自分(の過ち)に支配された姿」に他ならず、ただ霊層が低いため言葉が使えない本人に成り代わって「自我霊や想像霊」にそれを代行してもらっているに過ぎません。(逆に「彼ら」の働きが無ければ、この時点で人間は「人間らしい体裁」さえも保てていないはずですので、むしろ感謝すべきです。)

         

        この状況は一見すると「無限サイクル」のように思えますが、唯一ここから脱出して霊層を上げ、自らの言葉を取り戻す方法が有ります。それは「無駄口を慎むべし」と心に誓い、それを(文字通り)黙々と実行することです。それは言い換えれば「不言実行」を自らの信条(ライフスタイル)とすることです。それは「必要な期間」継続する必要が有ります。それはもちろん「安全圏まで霊層を上げる期間」という意味です。

        何故そうする事が必要か?それは実際に行なって見れば「すぐに解る」ことです。

         

        因みに幼少期に於ける「ナンで?どうして?」などの言葉は概ね本人の発するものです。ですから「言葉を取り戻す」という表現となります。

        | かまた | その他 | 11:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
        「雪掻き」続報!
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          今回の雪掻きでは、三日間で(贅沢を言わないならば)一応「当初の目的」を達成しましたが、その代償として現在「右足がびっこ・・・と言って悪ければ不自由」な状態です。しかし私の解釈では、これは「論理的に正しい行動」となります。
          何故なら近隣の雪掻きは、自分の力の及ぶ範囲での「車、自転車、人の通行上の安全確保」が目的で、もし実施しなければ「人の命に関わる重大事故」に繋がる恐れが有り、その不安を抱えたままでは、夜も枕を高くして眠れません。もし現実に事故が起きてしまったら、その件で一生後悔するかも知れません。
          それに対して、雪掻きの結果「私個人の右足が不自由となって1〜2週間移動能力が半分に落ちる」事があったとして、他の誰が困る訳でもなく、自分自身も(痛みを別とすれば)さほど困っていません。そういえば映画「ランボー」シリーズの台詞の中に「痛みを無視しろ、とアナタが教えた」というのが有りましたが、そうなると私も含めて「雪掻きをすればみんなが良くなり誰も困らない」という結果となります。

          これが私の「行動理論」ですが、どこか変ですか?
          | かまた | その他 | 09:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
          今年も雪掻き!
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            一昨年は、ここ八王子でも記録的な大雪に見舞われ、雪掻きをやってやってやりまくりました。翻って昨年は雪が積もる事もなく、楽をさせてもらいましたが、今年はまた15センチ位の積雪となり、昨日今日と雪掻きでした。

            そこでひとつ気が付いた事が有りました。それは他でも無い「体力(と持久力)の衰え」です。感覚的に言えば、一昨年の「半分」ぐらいしか持ちません。特に体調不良でも無く「たった二年で?」と思われるかも知れませんが、実はこれには訳が有ります。正直なところ自分でも最初「あれ?」と思ったのですが、少ししてからその理由が判りました。つまり、一昨年の時は「還暦前」で、今年は「還暦後」だったのですが、これでもまだ十分な説明とは言えないと思われますので、もう少しご説明します。

            思えば私は三〇歳を過ぎる頃から「早く六〇歳になりたい」と、ずっと思い続けて来た人間でした。人は普通は「いつまでも若々しく在りたい」と思うものですから、それ自体が相当変なのですが、更にいざ還暦を迎えた時に、自ら「とあるスイッチ」を入れたのです。それは「衰え」という名前のスイッチでした。このスイッチは「自ら積極的に老いを感じる」事で、簡単に入れることが出来ます。(嘘だと思ったら試して見ては?)

            「いったい何のためにそんな事をするんだ!」と大半の方がお思いの事と思いますが、このスイッチを入れることで、ある種の「トレードオフ」が起こるのです。つまり私は「若さを犠牲にして或るものを望んだ」という意味になりますが、更に敢えてそこまでしなければならない理由を問われるならば、「光陰矢の如しであるから」としか言い様が有りません。
            何れにしても、人は「悔いの残らない人生を送りたい」と思うもので、それは私とて同じという事です。

            ということで、今年はまた一昨年とは「一味違う」雪掻きを楽しんでいます。(明日でキメたい・・・)


             
            | かまた | その他 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
            音楽そっちのけで悪いか!・・・悪いかも。
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              このところ「音楽サイト」で有りながら、音楽と関係無い「時事関連」の記事がめっきり多くなっていることは、自他共に認めるところだと思っている。しかも当ブログに限っては、いわゆる「一見(いちげん)さん」は異様に少なく、殆どのアクセスは馴染みの「音楽愛好者」の方々と思われる。(検索サイトからのアクセスが少ないので)そんな皆様、済みません、申し訳ない。音楽記事じゃなくて・・・。

              ところで、自分は今日まで43年間もずっと音楽を生業にしてきたし、近年はCDも発表させて頂いた。つまりどこから見ても「音楽家」にしか見えないかも知れないとは思うが、そのことと本人の自覚とはまた別問題かも知れないとも思っている。いや、むしろ今までにちゃんと襟を正して「音楽家です。」と自覚した瞬間すら無かったかも知れない。(その理由は割愛します。)
              しかし「人間です。」という自覚なら今まで山の様にしてきたし、場合に依っては「世界人です。」などという自覚を臆面もなく持ったりする。へたに「日本人です。」という自覚を持つと、知らず知らずの内に「垣根越し」に物を見たり触れたりしてしまうような感覚に捉われて嫌なんです。だからそれと同じ理由で「お生まれは?故郷(おくに)は?」と問われても、気持ちの中ではいつも「日本全国です!」と答えている。(実際にはアホかと思われるのでそうは言いませんが)

              話が逸れたが、自覚としては「人間の日常的な営みのひとつとして音楽がある」と理解しているので、他の事と同じ様に「特別なもの」でも「こだわる」対象でもなく、それこそ「必要な時に必要とされるもの」という意味でも他の日常と等しい。
              つまり「人間が人間らしく生きる上で必要なツールのひとつ」と考えれば、出番で活用するのがツールであって、常に上質なものが手の届くところにあるのが望ましいと思うのは当然のことだと思う。
              しかし改めて「音楽は生きるすべて(=目的)ですか?」と問われれば、「う〜ん、それとはちょっと違うかな」などと微妙にならざるを得ない。
              | かまた | その他 | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
              「ROCK」であることの意味
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                前回に続き、私の別ブログに関わりのある記事をもうひとつ。

                以前、サイトの「Monologue」の方に、自分なりの「ROCKの定義」を書いたことがある。
                「一直線であること、パワーが半端でないこと、ナイーブで優しいこと」というものだが、我ながら良く書けた方だと思う。
                もちろんそれは基本理念のようなもので、実際にどのような手段、方法を用いて、どのようなアプローチが有り得るのかとなると、多種多様な様相を呈してくるだろうし、そもそもうまくいったか、いってないかという問題も当然あるだろう。
                その際「オレはヤッてる」などという自己満足はどうでもいいことで、肝心なのは「結果と向き合う」コトだと思う。

                ところで別ブログを書いているうち、そこはかとなく思えてきたのは「これってロックしてるな〜」ということだ。(文章がロックっぽい・・)つまり自分は何をやっても本気である限り、いつの間にか「ロックしてしまう」ということに、今更ながら気が付いたのだ。
                若いうちならまだしも、自分がそこまでロックだとは思いも寄らなかった。(あくまで音楽上のスタンスかと思ってました・・・)
                やってみなけりゃ判らないものだが・・・これじゃある意味「ユーヤさん」と変わらないではないか。(いや、名誉なことですが)

                しかし、ロックはポップとは違い、基本的に「変革のためのエネルギー」だと思う。故に「必要に応じて出現し、必要が無くなれば終息を以って良しとする」のが道理だと思う。ロックの後に来るものが果たして何なのかは、自分にもわかりません。
                | かまた | その他 | 15:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
                BBSの投稿記事について
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                  当ブログはアルバム「KURSK」の制作に纏わる記事の掲載が目的なので、少し場違いな内容になるかも知れませんが、「全く関係が無いか」と言われるとそうでもないので、取り敢えず書かせて頂こうかと思います。と申しますのも、どちらも同じ一人の人間が自らの信念に基づいて行っておりますものなので。

                  ときに皆さんが既にご承知置きの事か否か定かではありませんが、30歳よりこの方の私の命は拾いものとして今まで生きて参りました。それもおかげ様で60歳を迎える事が出来たこの先は、ほぼ5年を単位として展望を持つべきと考えております。それは「そこで尽きるとも厭わない」という意味でありますが、だからといって「何か特別な事をする」ということでもありません。単に内的な問題です。

                  ところで二十歳(はたち)の年より数えること40年余りが経過しておりますが、現在の世情に関しては当時より概ね予想が付いておりました。思えばそこに1つの小石を投げ入れるだけのための生涯なのかも知れませんが、別に派手な水しぶきを上げようとも思いません。ただ沈む小石の後に、どこの誰よりも美しい波紋が作れたら良いなあ、などと一抹の贅沢を夢とする次第です。

                  ご精読ありがとうございました。
                  | かまた | その他 | 16:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  「かげろうの街」バンド用楽譜(完全版)その3
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                    かげろうbs 1/3かげろうbs_2/3かげろうbs_3/3かげろうdr_1/3かげろうdr_2/3かげろうdr_3/3
                     

                    ノーチラスレコーズ・オンラインショップ限定の先着特典CDの中の1曲、「かげろうの街」の40年前の手書き楽譜第三弾は、残りのパートのベースとドラムを一挙掲載致しました。(別に小出しにして引っ張る意味もありませんので・・)

                    かなり前のものなので、(クラシックは別として)バンド譜の記譜法に関してはまだ試行錯誤の部分が有り、その辺りの問題点もいくつかあります。

                    ○ギター譜の音符の上の「H」はハーモニクスの意。
                    ○ドラムのスネア位置の譜尾(=旗)が独立して下向きになっている。(現在はハイハットと統合するのが主流)

                    など、読みづらい部分もありますが、何卒ご容赦下さい。

                    尚、歌詞は当ブログの2013年8月15日の記事、「特典CDの件」に掲載してありますので、参考にして下さい。(ミスを発見したので修正しました)
                    また、「演奏して見たいが、特典CDを持っていない}という方はご一報下さい。(何とかしますので)

                      

                    | かまた | その他 | 15:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    かげろうの街」バンド用楽譜(完全版)その2
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                      かげろうGt 1/3かげろうGt 2/3かげろうGt 3/3

                      ノーチラスレコーズ・オンラインショップ限定の先着特典CDの中の1曲、「かげろうの街」の40年前の手書き楽譜第二弾ギター譜です。印刷時にフルカラーでなく「グレースケール」に設定すると、多少見やすくなるかと思います。
                      | かまた | その他 | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
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