HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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お笑い種(おわらいぐさ)
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    アルバムタイトルでもある「KURSK」はジャケットでもわかる通り、クルスク戦の事である。
    だがクルスク戦(=ツィタデレ作戦)の事を知ろうと思えば東部戦線(独ソ戦)全体の事を、
    更には第二次世界大戦そのものと、それに至る経緯まで遡って理解する必要があると考える。
    およそ物事を識る、理解するとはそういう事だ。しかしそこでひとつ問題がある。

    我々が見たり聞いたり調べたりして知り得る事が全てであり、且つそれが真実とは限らない、
    ということである。意図的な隠蔽、歪曲、捏造、過大または過小評価の類は枚挙に暇がない。
    至極当たり前の話だ。自分が当事者で尚且つそれが出来る立場だとすれば当然そうするだろう。
    これら一つ一つを検証し整合性を取りつつ真実を明らかにするなど、並大抵の事ではない。

    だが幸いにしてそれは自分には用の無い事だ。真実の結果がどちらに転ぼうとそれはどうでもいい。
    何故ならアルバムコンセプトでも書いた様に、戦争に大儀など存在しないと信じて疑わないからだ。
    おそらく僅か数十年先には戦争の大儀などという概念自体がお笑い種になるだろう。
    当然核兵器や有害リスク付原子力エネルギーも含めてだが・・・。
     
    これは歴史をほんのちょっとでも顧みて見ればすぐ分かる事だ。
    かつての奴隷制度や植民地支配という比較的記憶に新しい概念すら既にお笑い種じゃないか。
    日本にあっては水銀やヘドロの垂れ流しに、空を覆い尽くす工業地帯の排煙など、
    今更ながら笑えないお笑い種は五万と或る。

    これら歴史上の真実をお笑い種と言えない理由もよく分かる。
    それは過去の先人(先祖、先輩)たちへの敬意であり、
    尊厳を冒したくないという死者への配慮かも知れない。
    だが死者とて死んでただ凍結している訳ではないのだ。
    まして子孫や後世の人々の不幸を憂い、その幸福を願わない死者などいる訳も無い。
    だとすれば真っ先にお笑い種にしているのは、実は当の死者たちなのではないだろうか。
    | かまた | その他 | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0) |









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