HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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論理性と合理性の違いについて
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    ここでいう「論理」とは、森羅万象の普遍的な法則や構造を踏まえた上での「物の道理」と言い換えても良いと思います。一方で「合理」とは、単一の目的や目標に的を絞った中での整合性や効率の是非を表す概念だと思います。つまり「論理」とは(人間を含む)万物、万事を視野に入れた究極の絶対的な整合性が保たれていなければならず、「合理」とは限定された範囲に於ける整合性さえ取れていれば良いという事です。

     

    例えば「振り込め詐欺」や「空き巣狙い」などの犯罪行為であっても、それなりに「合理的な方法」を考える事は可能です。この場合の「合理性」とは、成功率や作業効率を高める意味合いのものです。しかし犯罪行為には「合理性」は存在していても「論理性」は有りません。何故なら、(社会悪という有害行為によって)自分と他者、或いは社会との関係性に決定的な「歪み」が生じ、その結果被害者や社会全体からの追求を逃れるため、モノに怯えて逃げ隠れしたり、騙したり嘘を付いたりを繰り返すなど、どう考えても不合理で不自由な生活を強いられる事は目に見えているからです。

    つまり犯罪行為は如何に(合理的に)巧妙に行われようとも、それがもたらす「関係性の歪み」故に、自らの生活に破壊と混乱をもたらす極めて「非論理的」な行為ということです。

     

    それと全く同じ話は「戦争」にも当てはまります。

    国家に依る戦争行為は通常「国益」に基づいて行われますが、「自国さえ儲かれば良い」という前提で言うなら、それ自体は「犯罪者の心境」と何ら変わりません。その上で(何かと因縁を付けて)武力行使という「暴力行為」に及ぶとなれば、暴力団などの「恐喝」と構造的にどこが違うのでしょう。

    もちろん戦争には勝つための戦略、戦術など「合理的」な進め方が有るでしょうが、勝とうが負けようが何れにせよ、単なる犯罪行為とは桁違いの他国や他民族との「関係性の歪み」をもたらします。その結果として(国家は物理的に逃げも隠れも出来ないので)開き直って、あらゆる汚い嘘やデタラメや計略や策略に半永久的に手を染め、遂には抱えきれないまでに「敵」を増やすハメに陥っているどこかの国に心当たりが有ると思います。まるで「論理的に間違った事を力で押し切ろうとするとこうなる」という、悪いお手本の様なものです。余談ですがその巨大国家が近い将来(形態として)消滅する事は既に決定付けられている様です。

     

    「合理的」とは、ただ「その場の要領がいい」だけの事かも知れません。それに対して「論理的」とは、多少遠回りかも知れないが、最終的に「正しい方向」を示してくれるものと確信しています。

    | かまた | 時事関連 | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) |









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