HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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2018年は「対峙」の年
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    振り返れば2016年は、私たちの社会に内在していた様々な疑惑や歪みが問題として「表面化」され始めた時期と言え、それでもまだ辛うじて「建前」が建前として通用していましたが、2017年になると、そうした建前の陰で包み隠されてきた「本音(=実態)」の部分が次々と明るみに出始め、それに伴い社会の構造的な誤り、ひいてはそれらに関わる人間的な誤りまでもが白日の下に晒され、大いに問われる事態に陥りました。

     

    これは本来であれば「社会の健全化」に向けた機運が国民的に高まり、これまで一部の利己的な人々によって歪められ、蝕まれ続けてきた結果として社会に蔓延する「危機感、閉塞感」を一掃せんとする大きな動きや流れに繋がって然るべき状況と言えますが、不思議とそうはなりません。

     

    これには大別すると2つの大きな理由が挙げられます。

    ひとつは俗に「欲ボケ」と称されるところの、長年施されてきた「マインドコントロール」の結果として「理性」の働きを緩慢にされてしまった多数の人々が、(自分の尻に火が付いているにも関わらず)未だ正しく現状認識出来ていないため。(この人たちは戦略的基本である「各個撃破」の被害者と言えます。)

    そして今ひとつは、自らの誤りを認めようとしない人たちの「開き直り」が横行しているからです。

     

    こうした「社会の健全化」即ち「みんなが良くなる、みんなで良くする社会」の行く手に立ち塞がる障害に対して、私たちはどのようにあるべきで、また何が出来るのでしょうか?

     

    答えは簡単です。しかしそのためには、まず「揺るぎない信念」が必要です。それは「今が正念場で、もはや後が無い」という正しい認識が持てるか否かに掛かっています。私はその認識を得るための一助となればとの思いで、これまで1000件以上の記事を綴ってきたつもりですし、世の中には同じような思いの多くの人々の多くの発信が様々な「言動や著作物や作品」で存在しています。

     

    そうして、もしも「揺るぎない信念」を持つことが出来たなら、それを以ってあらゆる物事に正々堂々と「対峙」するだけのことです。それは言葉を換えれば「正しいと信じた自分らしい生き方に徹する」ということです。例えば「おかしい」と思えばおかしくなくなるまで是正矯正に努力し、納得出来なければ得心の行くまで追求するのは「人として当然」のことです。それがいつの頃からか「空気読めよ」とか「忖度しろよ」とか、そんなことはそもそも他人に言われてするものではないでしょう。

     

    ともかく今のままでは私たちの社会の劣化に歯止めを掛ける事は出来ません。思えば(前述の如く)先方が開き直るのも、自分たちに「後がない」ことが判っているからですが、その意味ではこちらも「後がない」ことには変わりがないのですから、謂わば状況は先方と同じなのです。

    つまり私たちには今、こうした「開き直り」に対して忍耐強く対処して行くためにも「曲げない、折れない、引かない心と行ない」が強く求められていると言えます。

     

    即ち「対峙する」とは、そのような心で「出来る限りの事をする」ことを指し、ただ(何もせず)じっと向かい合っていれば良い訳では有りません。(くれぐれも「退治」と読み換えないように。奢って良いことは有りません。)

    | かまた | 時事関連 | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) |









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