HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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物事を「論じる」時代は終わった
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    「今年は対峙の年」と申し上げ、これまでその概要や詳細を述べて来ましたが、それは別の言い方をするなら(本日のタイトルの通り)「物事を論じる時代は終わった」となり、それは「もはや論じる事の役目は終わり、その必要性も失くなり、そんな時間も余裕も無い」ということです。(極端で乱暴な話であることは重々承知の上ですが、そう言わざるを得ません。)

     

    何故なら、私に言わせれば人々が互いに「論ずる」必要があるのは現状に於いて「(全部または一部が)隠されたもの、見えていないもの」について、それらを論理的に導き出して行きたい場合に限ります。しかし昨日の記事でも申した様に、社会の建前の多くが瓦解、崩壊してしまった事で(国際、国内を問わず)殆どのものが既に「丸見え状態」になってしまっています。

    それは物理的な意味に留まらず、そうした状況の中で「開き直り」や「下手な嘘」や「遁走」を繰り返す人々の「人間的価値の可視化、顕在化」にまで及んでいて、そうしたものを日々目の当たりにしては「今更論じる余地もない」と感じたとしても不思議では有りません。論じることは「言葉遊び」ではないのですから。

     

    しかしこうした「誰もが容易に物事を見定めることの出来る丸見え、丸出し社会」であっても尚、相変わらず「何がどうなっているのかさっぱり解らない」或いは「今までとなんにも変わらない」などと言っている人たちがいるとすれば、それは(頭が悪いとか理解力が乏しいとかではなく)何らかの理由で「見たくないものは見ない」として「心の眼」を固く閉じたままにしている人たちに相違有りません。(そういう器用な事が出来るのも人間の特徴ですので。)

    但し外部から正しい情報を得ることを拒むことは、私たち人間にとって死活問題となりますので、その意味ではそういう人たちは「自滅タイプ」と言え、決してお勧め出来ることでは有りません。(「自由」と言われればそれまでですが。)

     

    何れにしても「論じる時代の終焉」と共に今度は「価値の逆転現象」がもたらされる事となるでしょう。何故なら従来型の多くの価値観が「インチキ」に基づいて作られた事も明らかにされつつあるからです。

    例えばテレビのニュースで上から順番に並べられた10項目のニュースの内本当に必要なものは最後の1項目だけかも知れません。(1つ有ればまだ良い方だという話さえあります。)

    | かまた | 時事関連 | 13:18 | comments(0) | trackbacks(0) |









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