HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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人間のクズとは
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    「人間のクズ」という言葉が有り、ネット上などでも相手を誹謗中傷する際の文言として時折り見かけることがある。一方で「人間の(命の)尊厳」という概念から言えば、どんな人であっても「尊い存在」とされる。となれば「クズ呼ばわり」すること自体が間違いかというと、そうとも言えない。(但し、自身の品格を保つ上に於いて不適切な言葉遣いということはあるだろう。)

     

    屑(クズ)とは言うまでもなく「役に立たないもの」という意味であるから、人間の場合に当てはめれば文字通り「役に立たない人間」ということになろう。しかし人間に於いてはそれだけでは済まされず、他にも「穀潰し」「場所塞ぎ」という言い方もあるように、生きている限り様々なものを消費し占有し続けるという事実がある。それ故「人間のクズ」には「役立たず」の他に「邪魔者」というニュアンスが付いて回ることになる。そこから転じて「反社会的傾向を示す者(=社会環境を乱す者)」を社会の邪魔者と位置付け、「人間のクズ」と称する場合がある。

     

    ところで相手を「人間のクズ」呼ばわりする際の「役に立つ、役に立たない」の判断の基準がどこにあるのかが明示されることは少なく、むしろ「バカ、アホ」と同様に相手を貶め不快感を与える目的で感情的に用いられるケースが多いのは余り好ましいことではない。

    実は人間が「クズかクズでないか」には明確な基準が存在する。もちろんそれは身体的、知的ハンディの有無や法的な問題の有無とは無関係なことだ。

     

    そもそも「役に立つ、役に立たない」の前には「社会の、みんなの」という語句が入り、決して「自分だけ」の役に立てば良いという意味でないとするなら、要はそういう心、思い、志の有無や大小、更には質がその人間の(社会的な存在)価値を決めていると言っても過言ではない。

    それは実際に体を動かして(仕事量として)何がどれだけ出来るかという話だけとは限らず、極端に言えばそのような純粋な心や思いが現に存在するだけでも社会的に十分意味が有ると言える。(何故なら純粋さは人を動かす力となり得るものだからである。)

     

    このように「みんなの役に立ちたい」という気持ち(=心、思い、志)が社会にとって極めて有用であるとすれば、逆説的にそうした気持ちが小さければ小さいほど無用(=クズ)の度合いが増していくものと思われる。

    但し現在の自由主義経済の下では、基本的に(株式投資など)「個人的欲望」を利用することで成り立っている側面があることも否定できず、有用、無用の判別が付きにくいのも事実だが、それ故歪みが常態化し、争いが絶えないことを見ても、これが社会の理想形、最終形態であろうはずもない。

    「力ずく」「早いもの勝ち」「独り占め」などが、何れ無用(=クズ)と認定される時代となるだろう。(幼稚園では今でもそう教えている。)

    | かまた | 時事関連 | 12:27 | comments(0) | trackbacks(0) |









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