HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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「混迷、混沌の年」に際して
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    まず始めに、当ブログ2019年12月1日の記事を再掲します。

     

    (再掲)


     

    毎年この時期になると「さて、来年は・・・」ということとなり、ちょうど去年の今頃には「2019年は結果現象の年」という意味の記事を書かせて頂きました。因みに「結果現象を見る」とは、因果関係によって或いは論理的な帰結として生じた大小様々な事象が「明らかな形で人の識るところとなる」ということです。例えば人為的な面では、利己的な欲望や欲求に基づく(地球規模から個人レベルまでの)悪意の多くは完全に露呈し尽くし、むしろそれらが堂々とまかり通っているかのようにさえ見えます。(その意味では最早嘗ての「陰謀論」という言葉自体が死語と言って良いでしょう。)何れにせよ人々の「二分化」はほぼ完了していると見て取れます。

    こうした現状を踏まえた上で、来年(2020年)のキーワードは「混迷、混沌」となるでしょう。但しこれらは十分に配慮された表現と言えます。それは例えば、仮に真実を決定的に伝える写真(映像)であっても、それが余りにもグロテスクで生々し過ぎる場合にボカシが入るのと似ています。

    そして私たちに今、最も必要なのは「乗り切るための心の準備」ということでしょう。

     


    (再掲ここまで)

     

    申し上げたいのは、この記事は「予知、予言では無い」と言うことです。更に言えばこれはある種の「論理の帰結」だと言うことです。

    但しここで言う論理とは、必ずしも「知識や数値的データの集積」に拠るものとは限りません。何故なら「論理とは基本的に感覚するもの」だからです。例えば「美観」によって事物を直感的に「美しいか醜いか」で識別する際に、いちいち数値を引き合いに出す必要が無いのと同様に、論理もまた、それを直感するためのアンテナさえ錆びついて無い限りは、基本的に「合否の見極め」が容易に出来るものです。

     

    「論理」を感覚するアンテナを錆びつかせる要因は、一重に「自己執着に端を発するところの各種執着」に他なりません。(「自己執着」を「我欲」と読み替えても構いません。)

    多くの人は「自己に執着することで自己防衛出来る」ものと考えるのかも知れませんが、それでは全くの「本末転倒」にしかなり得ず、アンテナを失った状態では「論理的に誤った判断」が多発することとなり、その中には「致命的な結果」を招く重大なものも当然含まれるでしょう。無論、それでは自分自身を護ることなど到底適いません。

     

    言うまでもなく「論理的」とは「適切」を意味し、一方で「非論理的」とは「不適切」を意味します。更に言えば「不適切」とは「無理やり」を意味します。無理を押し通そうとすれば抵抗が生じ、圧力が増大します。それでも止めなければ「圧力は無限に増大」します。何故なら「論理が覆(くつがえ)ることは決して無い」からです。それは例えば密閉した容器の内部圧力が無限に増大するようなもので、耐えられる容器など作り様が無いのと同じ話です。つまり「論理を無視する」とはそういう恐ろしい話なのです。

     

    繰り返しますが、この先私たちは混沌、混迷の続く社会情勢の中、自らのアンテナ感度をパワーアップさせて「論理を直感」しつつ生きて行く必要があろうかと思われます。

     

     

     

    | かまた | 時事関連 | 10:20 | comments(0) | - |









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