HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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価値観の「180度逆転現象」が始まっています。
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    それらは多くの場合(事態の切迫する中で)45度ずつ二転、三転した後、気が付けば180度逆転という経過をたどるでしょう。道理に従おうとする気持ちが多少なりともあれば、必ずそうなります。その際「過去への執着は禁物」です。その場合悉く判断を誤ることになります。何故なら「二度と過去へは戻れない」からです。

     

    以下、参考までに「価値観の逆転」に関する過去記事を再掲します。

     

     

    ※過去記事再掲始め

     


     

    ◎ 近い将来「価値観」が180度逆転します。(2016/11/06の記事)

     

    社会には様々な価値観が存在していますが、その中でも民族的特徴や風土的特色、国や地域社会の歴史的経緯や周辺との関わりなどにより、社会の中に「大方に依る一定の合意」即ち「固有の文化」が形成されて行くものと思われます。

    しかし「文化」は必ずしも前述の様に「合理性」に基づいた自然発生的なものばかりとは限らず、「支配者や権力者」たちの都合の良い方向で意図的に作り出される事例もまま有るように思います。それらは当初は「降って湧いた様な話」で明らかに異質なものであっても、やがて徐々に拡がり(広まり)を見せ、いつの間にか周り中その色合いで塗り尽くされてしまえば、人々はあたかもそれが「合意のもとに自然発生的に形成されたもの」の様に錯覚させられてしまうことでしょう。

    それについては「リテラ」に(ディズニーに関する)興味深い記事が掲載されています。

    記事はこちら→ http://lite-ra.com/2016/11/post-2672.html

     

    一般的には「物の価値」は社会的合意によって決定付けされている様に思います。それは単純に「需要と供給」の関係で、そこでは需要が多いということ自体が「価値が有る」ことを示し、更になおかつ供給が少ないものを「価値が高い」などと評します。

    食品や衣類、住居など「生きるために必須のもの」であれば確かにそうでしょうが、それではディズニーランドやスポーツ観戦、映画や演劇、コンサート鑑賞、海外旅行や世界遺産巡りなどの「価値」とはどのようなものなのでしょうか。(これらは生活必需品目では有りません。)

     

    よく考えるとこれらの「心の栄養?」とでも言ってのけられそうな需要は、スポンサー広告やテレビ番組による特集、またはニュース番組のトピックスなどメディアを駆使した「誇大な広告宣伝」の効果として生じています。(ゲームや○○ブームなど「トレンド」と言われるものの大半がそうです。)

    ですからそれらを「文化」や「社会的合意」とするのは正確には誤りであって、実際にはごく限られた人たちの限られた目的による煽動、喧伝によって「意図的に作られた需要」であり、もたらされた「価値観」と理解するのが正しい様に思われます。

     

    何故なら、これらの何れにも本質的に「心の栄養」となり得る要素は乏しく、むしろ「自己満足、ストレスの捌け口、束の間の現実逃避」的な効果ばかりが際立つからです。(「心の栄養」とは、自らの人間性、社会性を向上させ、それを実生活や実社会に反映させ得るだけの学びの要素が不可欠で、単なる「リセット」のことでは有りません。)

    例えば、何故ディズニーランドに行くのかと問われれば(大人の場合)「リセットが必要」というのは、海外旅行やその他の趣味でも同じでしょうが、では何故リセットの必要が生じるのかと言えば、おそらく「自分がこんなで世の中がこんなだから」という答えにしかならないでしょう。

    しかし「自分と世の中がこんななのはどうして?なんか変じゃない?」というところまでは中々思いが行き届かないのが現実だと思います。

     

    これまで私たちは社会の「表の顔」しか知らされていませんでしたが、ウィキリークスやユーチューブなどを初めとする様々な情報の入手手段によって今後は「表の顔」と「裏の顔」を同時に知り得る機会が多くなっていくことと思います。(それは同時にメディアの歴史的、構造的な欺瞞性が証明される結果ともなります。)

    その上で(社会的通念として)「全てに於いて表の顔はインチキで裏の顔が真実だ」ということにでもなればそれに伴い、当然物事の価値は180度逆転します。

     


     

     

    ◎ 物事の価値観が180度変わる(2017/03/25の記事)

     

    その瞬間が刻一刻と近づいています。これは単に「価値観が変わる」ではなく、180度とするところに意味が有ります。何故なら「物事の根源的な理解」が覆(くつがえ)るからであり、それによって「社会常識」全般も覆ることになるからです。

     

    「根源的な理解」とは例えば、宇宙とは何か、に始まり、地球とは、世界とは、国とは、人間とは・・・と続く本質的な事物に対する理解のことです。しかしこれらを一つ一つ分けて考えることに余り意味は有りません。これらは或る一つの認識をきっかけとして同時に置き換えられる関係性にあると思われます。

     

    この「(世界的な)価値観の劇的な転換」がどのようにしてもたらされるのか、具体的に示すことは多分困難です。何故ならこれは何千、何万、或いはそれ以上の途方もなく多くの(特徴的な)事象が複雑に絡み合い・・・というより影響を及ぼし合い、融合を重ねながら進められて行くであろうからです。つまりこのような観点から、この事は「誰にも制御は出来ない」ということです。

     

    当たり前のことかも知れませんが、世の中は現状、概ね「マジョリティー(多数派)」とされる人々の価値観を主体として物事が進められていますが、それに対して(本質的な部分で)疑義を唱える「マイノリティー(少数派)」の人々も存在することは事実で、そのような人々への評価が「不適応者」「変わり者」ならまだしも「発達障害」「適応障害」などと見做される事すら有るでしょう。(例えば「嘘が決して付けない人」は発達障害でしょうか?)

     

    しかし既に前述の「価値観の180度転換」に向けた変化は、目に見えない形ではあっても着実に進んでいます。そこには当然「多数派と少数派の逆転」も含まれるでしょう。その中に於いて、最も危険なものは「固定観念」に囚われ続けることだと思います。

    いつ、どの時点で「リセット」を掛けるかは、私たち個々の判断に委ねられていますが、早ければ早いほど良いでしょう。

     


     

     

    ◎ 価値観の逆転は仮想現実の終焉を意味する(2018/02/06の記事)

     

    人々の誤った価値観は、真実や事実の誤認によってもたらされますが、その真実や事実の誤認は「意図的に操作され作り出された誤った視覚、聴覚、体感情報それ即ち仮想現実」によってもたらされます。

    具体的にはテレビの番組やコマーシャルで特定の物品に対して「みんな持ってる」「みんな大好き」と繰り返し連呼するだけで、それが「自分にとって必須の価値有る物」と視聴者側に感じさせることが出来、またそれと同じく特定の人物や職種、立場の人々を繰り返し持ち上げ高く評価し、さも価値有る人々あるいは権威有る人々であるかの如く謳えば、その人たちの言動は自ずと高い評価を以って受け入れられることとなるでしょう。

    このように(自然発生的にではなく)人為的に操作され演出的に作り出された「真実や事実の裏付けを持たない価値観」に覆い尽くされた状況を「仮想現実」と言うことが出来、当然ながらそれは或る特定の方向に人々(=社会)を誘引することが目的のものです。

     

    例えば今や「スマホ社会」と言っても過言ではないほどのスマホの普及率の裏側では、かなり以前からその電磁波(マイクロ波=電子レンジと同じ)による人体への悪影響が懸念され続けていますが、仮想現実の日本社会では「(総務省からして)そうした話は無いも同然」として来ました。(学者や有識者や役人の判で押されたようなテキトーな話を真に受けて仮想現実を謳歌し続ける限り、今後も死人や病人が増え続けることとなるでしょう。)

     

    それから仮想通貨の暴落に留まらず、とうとう株式市場の暴落が始まったようですが、以前から申しているように「物理的な価値の裏付けのないお金に元々信用の根拠は存在しない」のが物の道理ではないでしょうか。即ち近年の株価の高騰はそれこそ「人々を何らかの誤認に誘導することを目的とした大掛かりな仮想現実」そのものであったと言えます。この先理想的には「お金は物理的な裏付けを有する本来の価値」まで戻るべきでしょう。そして株価もそれぞれの会社の本来の価値を表わす価格であるべきでしょう。

     

    こうして現在の「仮想現実」を演出している多くの誤った事象や認識のひとつひとつが陽光に晒され風化して剥がれ落ちて行くたびに、人々の認識が自ずと是正、修正され、正しい認識に基づく価値観が新たな社会理念を形成して行くこととなるでしょう。

    それはもちろん「受動的な意味」ばかりではなく、私たちひとりひとりがそうした変化の中で「最善を尽くす」ことが求められることとなります。

     


     

    過去記事再掲終わり

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