HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
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「転調」の必要性と必然性について
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    「転調」とは、楽曲の調性が曲の途中で変更される事を指すが、目的としては、音楽を構成する他の諸要素に対して用いられる変更と同じく、曲の進行に対して「適切な変化」をもたらすためのものである。しかし、今までドレミのドとして主役を担っていた同じ音が、次の瞬間から例えばファの半音として極めて地味な存在となる様な劇的な変化は「転調」ならではのもので、楽曲総体として見ると、拍子が4拍子から5拍子に変更された時以上の衝撃的な事件と言っても良いだろう。それは取りも直さず「楽曲」というものが通常は調性に対して高い依存度を有していることを示している。つまりノーマルな曲想をノーマルな手法で表現する限り、調整は楽曲と不可分で固定化されたものと考えて良いと思う。何故なら楽曲には流れや変化に先んじて一貫性を表す要素が必要で、その最たるものが調性と考えられるからだ。

    ところで「転調」するには正当な理由が必要だ。つまり「何故転調した方が良いのか、しなければならないのか」ということだが、特にインスト(器楽)アンサンブルに於いては楽器ごとに「オイシイ音域」が異なり、主役となる楽器に対して適切な調性を選択する必要が生ずるため、転調する場合がある。もちろんその場合も転調による一定の曲想の変化を想定して、それと抱き合わせの形で主役を交代させるということになる。
    一方で通常の歌唱曲やソロ楽器による曲ではその必要は生じないが、それでも曲想を盛り上げるテクニックのひとつとして、半音乃至1音程度の転調は効果的である。つまり「転調」は音の強弱や増減、リズム変化等に頼る事無く、コンスタントに「盛り上げ効果」を演出出来るということである。

    上記はごくノーマルな「転調理由」を示したに過ぎない。しかし転調にはそうでない理由もある。それは「楽曲自体の成り立ちが転調と不可分な構造」の場合である。それは言って見れば「転調」そのものがテクニックというよりも、むしろ「音楽言語」に近いものとの認識ということで、それは例えば「旋律(メロディ)」の元となる「旋法(モード)」を「言語」と見なす様なものである。
    そして自分にとっての「転調」とはまさしくこの「言語としての転調」であり、実は二十代からずっと自分の音楽の中核を成して来たものだ。(作風からして変拍子よりも優先順位が高いのは明らかだと思う)
    しかしこれには全く問題点が無い訳ではない。それは即ち「本来調性で維持されるべき楽曲の一貫性をどうするか」ということであるが、もちろん一貫性を放棄する訳には行かない。自分はその答えを「バランス感覚」に見出している。思えば楽曲上のバランスとは、調性を動かす際に最も必要とされるものかも知れない。だから自分が音楽を「バランス芸」と見るのは、そのような長年の経緯が影響している可能性があると思います。

    | かまた | 作品全般 | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |









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