HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
心は常に計測され数値化され評価されている!
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    今日のタイトル「心は常に計測され数値化され評価されている」・・・こうした概念を持っている人は、今現在生きている人の中でおそらく圧倒的に少ないと思いますが、これは紛れもない事実です。何故ならそのようなシステムが実際に存在し、それが一年365日昼夜兼行運用されているからです。つまり「心」とは、決して我々が想像するようなアバウトなものではなく、漠然と存在するものでもなく、増して脳神経によって生み為される妄想的産物などではなく、むしろ理路整然と構築され認識されるべき存在であるということです。何故なら「心」こそが、人間の実像、実体そのものと言えるからです。ですから生きている人間の場合は「心」が本体で、体はそれに「付随するもの」として存在という認識が正しいのです。それが証拠に、心の状態は人相や風貌に反映しますがその逆は有りませんし、「心因性」といった診断の有無に関わらず、体調不良や病気の根源から「心の問題」を完全に切り離す事は困難で、むしろ不自然と言えます。(例えば生活習慣病など・・・)

     

    ところで「心は常に計測され数値化され評価されている」って・・・いったい誰に?・・・そんなこと、決まってるでしょう。とにかく自分の心と向き合うことです。

    | かまた | その他 | 09:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
    「○○は必要!」という勘違い(=誤認、錯覚)
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      これは近年に於いてはもっぱらスマホ、SNS、インスタ、ラインなどを始めとする、主にネット上で主流とされている種々の会員サービスなどの大半に当てはまる事と言え、古くはテレビ、新聞などの慣習的な視聴、購読にも遡る。それらの共通する最大の特長は「便利」であることもさることながら、むしろ「それをしないと取り残される的な強迫観念」にあると言え、これはちょうどファッションに敏感な人が流行のファッションに乗り遅れた格好で街を歩く時に受ける「疎外感や劣等感」と同等か、より深刻なものと思われる。サービスへの依存度は人によって様々だろうが、場合によっては「無くてはならないもの」「無いと生きられない」ぐらいの感覚かも知れない。しかし現実にそれで生きられなくなるとは考え難く、その時点で既に物事や状況に対する誤認、錯覚が起きていると思われる。

       

      人が利便性の高いものや主流と言われるものに飛び付く気持ちも解らないではないが、その一方では同時にそうした新たな土壌や環境が様々な悪意の温床ともなり、詐欺や成りすまし、イジメ、ストーカー行為、誹謗中傷、フェイクニュース、不適切な煽動や勧誘、個人情報の漏洩などの被害が跡を絶たないのも事実だ。

      現在の環境が「自分にとって本当に(正しい意味で)必要な環境」ならまだしも、必ずしもそうでないならわざわざ「荒れた環境、危険を伴う環境」に(ちょっとぐらい便利だからといって)身を投じる必要はないし、少しでも不安や違和感を感じたら可能な限り速やかに撤退すべきだと思う。そうしたからといって後々困る事など殆ど無い。

       

      因みに自分の場合、現時点で主流とされているサービスの殆どに未加入、もしくは撤退していますしスマホも持っていませんが、社会生活上も何ら不便は感じておりません。パソコンもLinuxで十分。(スタンドアローンの作業用Windowsは有りますが)

      所詮、個人的環境に於ける便利とか不便とか必要とか不要とかは自分で感じて決めることだと思っています。

      | かまた | 時事関連 | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
      せっかちな人には判らないかも知れないが、
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        世の中は嘗て無いほど猛烈なスピードで「従来的価値感の崩壊及び再構築」が起きています。それは端的に言えば「行き詰まりの結果による当然の帰結」としてもたらされていると考えられます。それは国際社会然り、日本社会然り、また個々人の内面に於いても然りであって、何れも「無理を重ね続けた結果の表れ」と見ることができます。何故なら「無理は理に無いこと」であって、一旦は押し切ったとしてもそれは極めて不自然、不安定な状態に過ぎず、土台保つ事自体が不可能な代物だからです。

         

        物事は(人人の思惑はいざ知らず)全体としては必ずや現状をより自然でより安定的な状態に移行させようという方向性と力が働くもので、それをいち早く感じて流れに沿った生き方を選択することが重要かつ正しいと言えるでしょう。何故なら(物の道理として)個々の繁栄や発展も当然その先にしか無いと考えられるからです。

         

        一方で、そうした自然の摂理に準じた流れを無視、或いは感じることすら出来ずに、相変わらず「従来的価値観に固執した生き方から脱却出来ない人々(例えば金と権力、弱肉強食etc...)」もいますが、前述の理由によって既に「一寸先も闇」のリスクが迫っていると考えて良いでしょう。というより現状の「固定観念自体が既に何も見えていない状態」というのが正しい認識です。(ハッキリ言って危険です!)

        | かまた | 時事関連 | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
        目的の為には・・・手段を選べ!
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          世の中には「目的の為には手段を選ばず」という考え方もあるようだが、これは大きな誤りと言わざるを得ない。何故なら、それが(言葉や形の上で)如何に「崇高な目的」のように思われても、物事の実質的な価値は「事に臨む人間の心柄」によって決定付けられる仕組みになっているからだ。

           

          即ち「質の悪い心柄と質の悪い行為によって導き出された結果は(どんなにタイソウなお題目であろうと)無価値であるばかりか、社会的に極めて有害である」と言って良い。というのも当然ながら社会全体に対して「質の悪い心柄と質の悪い行為」を容認させ、更には推奨させる結果となるからである。(そんな社会が良くなるはずもない事は常識で解る。)

           

          また、よく「涙を呑んで・・・」とか「感情を押し殺して・・・」などの表現で行為自体の冷酷さや残忍さ、また行為に及ぶ際の自らの心をを正当化しようとの目論見が為されるが、この手のものは全てごまかし、インチキと断言できる。何故なら人間は(良きにつけ悪しきにつけ)心に無い言動は絶対に持てない仕組みになっているからだ。つまり「冷酷な行為は(自覚の有無に関わらず)必ずや冷酷な心によって実行されている」ということだ。

           

          因みに「心柄=人間性のレベル」という意味だから「目的の為には手段を選ばず」という考え方自体に既に「人間性の喪失」が表されており、故に「社会のため、人々のためと称しつつ(人間性不在の)行為に及ぶ」ことの不条理、異常性、欺瞞性はもはや疑う余地も無い。

           

          つまり「目的が崇高で価値が高いと思われるなら、それに見合う相応の手段、方法を選べ」ということであって、(今はどうあれ)それは必ず近い将来の常識とされるだろう。(元々常識であって、今が特別おかしいだけだからだ。)

          | かまた | 時事関連 | 10:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
          私たちの社会は確実に進展しています。
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            ふつう「社会の進展」というと、テクノロジーの進歩や居住環境の改善、安心、安全性の向上など、明らかな形となって実感できることを指すと思いますが、この場合の「進展」はそういう意味ではなく、単に「おかしいもの、変なもの」に対して「おかしい、変だ」といった認識が進みつつあることを指します。

             

            そうした認識が初めのうちは「何かおかしい」といった疑惑や疑念に留まっていたものが、やがて「明らかにおかしい」となれば、これはもう物事が大きく動く(変わる)前兆と言って良いでしょう。そして現在は最早そうした段階ですから、程なくそうなると思われます。それは文字通り、形としての社会の「変動、変化」であり、或いは「瓦解、崩壊」を指しますが、その過程を経なければ私たちが真っ当な社会を迎えることは決してできないと思われます。

             

            何故なら、私たちが違和感を禁じ得ない社会は偶発的に生じた結果などではなく、むしろ意図的に構築されたものだからです。しかもその意図にこれまで無意識的に賛同してきたのが私たち自身なのですから、謂わば「自分の首を自分で絞めてきた」ようなものですが、それを直ちに止めましょう。自分のポジションに於いて一人ひとりがそうするだけで世の中は確実に変わります。(既に多くの人々がそれを始めています。)

            | かまた | 時事関連 | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
            テレビを見れば見るほど変になる?
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              言うまでもなく、社会の在り方やあらゆる国民生活に最も深く大きく関わるのが「政治の在り方」であるから、我々国民の一人一人は「今、政治がどうなっているのか(=今、日本がどこへ向かっているのか)」について、常に何らかの形で正しい情報を取得出来なければならないということになる。そうでなければ(有権者として)政治そのものや政治家に対する是非の判断のしようがないからだ。

               

              しかしその意味に於いて、現状我々に最も身近で手軽な情報の入手手段である「テレビ」は、そうした「正しい情報の提供」という(建前上の)使命と役割をとっくの昔に放棄してしまったようだ。百歩譲って(広告スポンサーである)財界の意向を汲まざるを得ない民放テレビ局ならまだしも、強引な理屈と手段でほぼ全ての国民から「視聴料」を徴収した挙句「みなさまのNHK」を標榜してはばからないNHKに至っては、これは「国民に対する完全な裏切り行為に当たる」と断定出来る。

               

              例えばここ数年来、政権による「度重なるメディアへの圧力、恫喝」などが報じられてきたが、いつの間にかそれが常態化して、現在では逆に「言われる前から政権に忖度する輩が存在する」など、すっかり手なづけられてしまった感がある。言って置きたいが、自分に非がないのに脅されたり因縁をつけられたら瞬時に「脅された!」「因縁をつけられた!」と騒ぎ立てるのが身を守る基本だろう。もしそういう気がないとすれば、その人たちは元々そういう「メディアに居てはならない人たち」だったと思う他ない。何故なら「使命感や責任感」が感じ取れないからだ。

               

              それからメディアに対する政権側の「屁理屈」の一つに「両論併記すべし」というものがあるが、そもそも併記に値する「論」であるのかどうかが問題で、そうした価値判断の介在なしに何でもかんでも「論」として併記するという訳には行かないだろう。

              事実、ほとんどの報道や情報提供の際には「両論併記」などされず、多くはメディア側の価値判断に基づいて行われている。いつの場合も我々国民は「メディアの良心」を信じ、メディア側はそうした「信頼に応えるべく尽力する」というのが国民とメディアの有るべき姿に違いない。

               

              そうした(政治を正しく伝えないという)意味に於いて、現在のテレビは既に見る影もなく、逆に見れば見るほどおかしな方向へ誘導され兼ねない状況に有ると言えよう。(反面教師にはなるにせよ、見て気分は良くない。)

              | かまた | 時事関連 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
              そしてみんな発狂した
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                夜の時代が終わりを遂げ、昼の時代を迎えて既に77年が経ちますが、特にここ数年の間、増々強くなった光が世の中や人の心の隅々まで射し照らし、これまで闇に存在していたあらゆる穢れの類があぶり出され、苦しみ悶えながら一斉に表層に浮き出して世の中に大混乱をもたらしている事実が、世の中の様子から窺い知れます。

                 

                例えば国会に於けるIRカジノ法案、参議院定数6増法案然り、これらをまるでモノに憑かれたが如くゴリ押しする感覚や神経そのものが、もはや正気の沙汰とは思えません。

                また、愛知県豊田市の小学校に於ける小1児童熱中症死亡事件然り、この件に限らず私の知る範囲でも公職に就く人々の多くが既に正気を失い、正常な物事の判断が出来ずにいるようです。

                 

                今後もしばらくの間、今まで考えられないような事案が社会のあらゆる場で次々に人の手によって引き起こされるでしょう。しかしもし、それらが「二分化」という必要なステップの一過程であるとすれば、私たちは相応の心構えと覚悟を以ってあらゆる局面を受け入れざるを得ません。何故ならたとえどのような瞬間であれ、私たちが「生きるという意味」を見失う訳には行かないからです。

                それは「眼前の今にベストを尽くす」ことによってのみ達成されるものと確信しています。

                | かまた | 時事関連 | 13:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
                ランドセル(orスクールバッグ)は何故重い?
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                  まず第一に、他人に明らかな苦痛や不快感を伴うことを強要すべきでないのは常識だ。教育現場では「子どもにとって重すぎるランドセル(orスクールバッグ)」が正にそうだということは、良識有る教育者であれば嫌が上にも感じているはずで、軍事教練でも有るまいに「鍛えろ」とか「慣れろ」などの声はもはや論外だ。それを言うなら先生方は率先して毎日20キロ超の荷物を背負って通勤せねばならない道理になる。

                  何れにせよ、子どもに日々重い荷物を強要することと、山好きの登山者がたまに自ら大きなリュックを背負って出かけるのと一緒に考えるべきではない。

                   

                  この件について「東洋経済オンライン」で関連する記事を見つけた。こうしたことが専門家から問題提起され、ネット上で話題にされることは良いことだ。

                  記事はこちら→ https://toyokeizai.net/articles/-/227156

                   

                  この記事の筆者は、子どもたちの荷物の重量が増した理由として、主に「教科書が厚く大きくなった」ことを掲げているが、それを「教科書を厚くして教える内容を増やせば学力が上がるだろう」「授業時間を増やせば学力が上がるだろう」という教育する側の勘違いが有る、と説明しているが、表向きは確かにそうかも知れないし、大きなカラーの図版を多用することで子どもたちの関心を引く効果を期待する向きがあるのかも知れない。

                   

                  だがそれを理由に教科書を大型にし、ページ数を増やし、カラー印刷に耐え得る良質の紙を使用するとなれば、当然教科書の製造コストは上がり、販売価格に反映されなければおかしい。(教科書会社は国営企業でもなければボランティア団体でもない。)まさか「販売単価を上げるため」にそれをやっているとは思いたくはないが、少なくとも記事の筆者の主張するように、子どもたちの学力の伸び悩みがあるとすればそれは「教科書の量や見栄えのせい」ではなく、単純に「教え方」の問題に尽きると思う。

                   

                  何人(なんぴと)も、学校を「子どもが行きたくない場所」にする権利など無く、むしろ「子どもが行きたい場所」にする義務が有ると考えるべきだ。

                  そうすれば学力と言わず、子どもの「総合力」は間違いなく上がる。

                  | かまた | 時事関連 | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  「戦前回帰」或いは「男尊女卑」について
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                    集約すればこれらは何れも嘗ての「縦社会」に対する再評価であり憧憬とも受け取れる。「昔はそれで上手くやれていた」とでも言いたいのだろう。だが残念ながら今の時代にそれを声高に叫んでいるのは100%「自己中心主義者」であり、人間的価値としては見るべきものの無い人々だ。つまりそういう人たちは「縦社会の方が自分たちの思いが遂げやすい」という理屈でモノを言っているだけのことで、縦社会の何たるかなど全く解っていないはずだから、こういう人たちの下での縦社会は凶器(狂気)にしかなり得ない。(事実、部分的には既にそうなっている。)故に絶対にそうさせてはならないのだ。(例えば「良い独裁もある」みたいな話とかにノセられてはいけない。)

                     

                    一方で真に縦社会を理解している人は、今の時代に決して「やっぱり縦社会が良い」などとは言わない。それは不心得な戦前回帰論者や安易な男尊女卑主義者に表面上の言葉尻を取られ、不本意に言説を利用されてはかなわないからだ。

                    言っておくが縦社会の「縦」とは立場の上下や権利、権限の順列を表わしているのではなく、そこに明示されているのは「固定化された責任の所在と範囲」に過ぎない。だから逆に言えば「それさえはっきりしていれば後のことはどうでもいい」とさえ言えるのが「本当の縦社会」というものだ。後のことは「人間性」で適当にやれば良い。何故なら「責任とは人間性で果たすもの」だからだ。

                    | かまた | 時事関連 | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    現政権のもたらしたもの
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                      日本には現政権と同様の「汚いやり方」が浸透してしまったようで言葉もない。

                      | かまた | 時事関連 | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
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