HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
昨今の司法、立法、行政(=日本国)の崩壊を目の当たりにする
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    今、現在日本社会で起きていることは謂わばそういうコトで、最早やる事なす事どう贔屓目に見ても「メチャクチャ、デタラメ、テキトー」としか思えないにも関わらず、その結果として生じている「国民の身の危険」に対しては「自己責任」と断ずる風潮が蔓延しているのは、どう見ても「大本営発表」を彷彿とさせるメディアの影響だろう。

    少なくとも、こうした社会の流れに乗る(=流される)ことは、まさしく「死の行進」の群に加わるに等しく、心あらば岩にしがみついても今は流れに逆らうべき時と言えよう。(論理を尊重し真のマイペースに徹するべし。但し反社会的と認められる行為行動は厳に慎むべし。)

     

    みなさん、トップダウンで(人為的に)秩序の崩壊した現社会をどうか知恵を絞って生き抜いてください。あたかも洞窟に身を潜めて氷河期を凌いだ太古の人々の如くに。

    | かまた | 時事関連 | 10:04 | comments(0) | - |
    イカれた人々のイカれた言葉と行いがどうにも止まらない
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      当ブログでは2016年頃から社会や人々の「二分化」について事有る毎に指摘してきました。(詳しくは「二分化」でサイト内検索の事)そして現在ではこの「二分化」がほぼ固定化された結果として、世の中はこれまでの常識では考えられないレベルのそれこそ「イカれた人々のイカれた言葉や行い」が今や溢れ返っています。その一方でさすがにそれだけ異常な言動を日々見せつけられれば「おかしいものはおかしい」とする声が以前に増して上げやすくなっていることも事実で、今後しばらくは両者のせめぎ合いの様相を呈する事となりそうです。しかしこれは言葉を変えれば「論理と非論理の対決」となりますので、結果は自ずと見えて来るはずです。少なくともこれまでのところは霊界の決定通りなので、おそらくは今後もそうなるでしょう。

      最も重要な事は「自分が自身(という弱音の虫)に負けない」ということで、それは「流されない、毒されない自分」を意味します。もうひと頑張りです。

      | かまた | 時事関連 | 09:31 | comments(0) | - |
      因果応報か?(補足)
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        ※ 以下の記事には霊的内容が含まれますので、関心の無い方、嫌悪感をお持ちの方の閲覧はお薦め致しません。

         

        昨日の記事の終盤の『「因縁、因果」にまつわるキーワードを3つ示す。それは「宿命、祖先、本能」というもの』というくだりを理解するためのヒント。賢明な方々は既にお察しのこととは思うがこれは「順列」を表しており、それぞれ「優、良、可」と解することも可能・・・とするのは早計で、実は「優、良、不可」であったり「優、可、不可」も(それ以外も)有り得るというのが正しい。そういうことだから「頭で考えると精神をやられる」と言わざるを得ないのだ。人間はもっと「自らの良心こそが因縁、因果を抜本的にコントロールするための最強ツール」であることを理解しても良いのではなかろうか。

        | かまた | その他 | 09:13 | comments(0) | - |
        因果応報か?
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          ※ 以下の記事には霊的内容が含まれますので、関心の無い方、嫌悪感をお持ちの方の閲覧はお薦め致しません。

           

          「因縁、因果」を頭で制御(コントロール)することは100%不可能だ。何故ならそれらは非常に多くの複雑な要素で構成されているにも関わらず、要素の内で目視で確認出来るものは極々一部に過ぎないからだ。

           

          では「因縁、因果」にどう対処(アプローチ)すべきか?それは論理を理解し、論理に従うしか無い。何故なら「因縁、因果は論理で運用されている」からだ。しかし困った事には今度は「論理」自体が何のことだか分からないと言う。

           

          「論理」とは(人智を超越した)この世の仕組み(の内人間に感覚出来る部分)の事であって、となれば論理を理解し論理に従わない限り、誰しも漂流し難破の憂き目に会うのはむしろ当然と言える。何故なら(この世の)仕組みに反する生き方自体がそもそも(この世では)成立しないからだ。(但し結果には段階と時間差が伴うため要注意。)

           

          論理とは頭で考えるものでは無く、あくまでも「理性」で感覚するもの故、単に(理性の顕在化としての)「良心」に従っていれば、その人の生き方は多分に「論理的」と言える。(但し良心=お人好しとは限らない。)

           

          ここに「因縁、因果」にまつわるキーワードを3つ示す。それは「宿命、祖先、本能」というものだが、因みにこれらを頭で考えてどうなるものでも無く、むしろ場合によっては精神に異常を来たす事さえ有る。(事実そういう人を何人も見てきた。)

           

          繰り返しとなるが「因縁、因果」をコントロールするには「理性を保ちつつ良心を働かす上で論理に従う」しか無い。

          | かまた | その他 | 10:36 | comments(0) | - |
          神は人間に嘘をつく?
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            ※ 以下の記事には霊的内容が含まれますので、関心の無い方、嫌悪感をお持ちの方の閲覧はお薦め致しません。

             

            この問いを正しく理解し、且つ正しく答えられるのは、現在「ほんのひと握りのごく限られた人たちのみ」と思われますが、何れ多くの人々の共通認識となるでしょう。そして更に言えば、この問いの真の答えこそが、私たち人間の「有るべき姿」を明確に示唆するものである事は間違い有りません。何故ならこの答えは(逆説的に)「人間とは何か」あるいは「有るべき社会とは」の答えを想起させるものであろうからです。

            | かまた | その他 | 09:07 | comments(0) | - |
            ありとあらゆるズルさが炙り出されて行く時代
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              一昔前までは、人間のズルさ(=狡さ)があたかも「上手く生きるための知恵(戦略?)」でもあるかのように受け止められ、さも「物事に長けた人間」であるかの如く錯覚を以って評価されていたが、今やその手のズルさは単に「醜悪」であって「馬鹿の見本」としか誰の目にも映らなくなってしまっていることが、多くのネット上の書き込みや世論の動向からも明らかである。(「馬鹿」の定義は前回4/16の記事を参照の事。)

               

              この傾向は皮肉にも新型コロナウイルスによる緊急事態宣言以降、益々以って顕著となっている。それもそのはず、今社会で何より求められるものは純粋に「人間性」であり、望むらくは「利他の心」であって、評価の対象が「個々の責任能力」に他ならないからで、これらは何れも「ズルさの対極」と言えるものだ。(もはやズルさは不快と嫌悪の対象でしかなく、誰も望んでいない。)

               

              よって今後の世界はこうした(人本来の)精神性、能力をいち早く発露させ、優れた論理性を以って人々の賛同を得ながら物事を前に進めて行ける者のみがリーダーシップを発揮すると共に、未だズルさを有した人々にあっては、自ずと行き場や居場所を失って行くハメになろう。

              | かまた | 時事関連 | 08:50 | comments(0) | - |
              いよいよ世の中「馬鹿ばっか」
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                「馬鹿→まじか」と読む。「まじか→間近」のことで、即ち世に言う「馬鹿」とは本当は(知能が劣るという意味では無く)「間近を知らない者」の意である。また「間近」とは言い換えれば「自分の足元」もしくは「一寸先」のことで、それを知らないということは、仮に足元が不安定であっても一寸先の視界が得られなくてもそのことに気付かず「警鐘が鳴らない」ということになり、それこそ「痛い目に会うまで分からない」または「死ぬまで分からない」という結果を招くこととなる。何故(ある程度の知能を有するのに)そんな状態に陥ってしまうのかと言えば、その人間の「欲得」によって醸成された「固定観念」が、生存に必要なセンサーを無力化してしまい、危険を認識出来なくしてしまうからで、そうなれば遠目はおろか直近の景色まで「幻想」に覆い尽くされてしまう。これは例えば車の運転中に「有るはずの道が見えず、無いはずの道が見えてしまう」様なもので、とどのつまり「馬鹿」とは、そのような状態を指す「警鐘」の意味を持つ言葉であって、同時にその様な場面での用法が正しい。となれば「馬鹿」と言われて恥を覚え感謝こそすれ、逆に憤りを覚え恨みに思うなど、本来「筋違いも甚だしい」と言えるだろう。そして少なくともそういう考え方、生き方をしない限り、この先の身の安全は保証されないこととなろう。

                 

                そういえば今朝ほども「馬鹿」のニュースをやっていた。横浜市の職員が、新型コロナの感染者が出た保育園の園長に口止めをして保育園の継続を指示していたという話。良心の呵責にたまりかねた園長が独断で(口止めを無視して)保護者に通知し、事無きを得たらしいが、この横浜市の職員の言い訳が傑作で「対応が不十分だった。」との事だが、ハアッ?違うだろ。それを言うなら「対応が大間違いだった。」でなければならないし、そうでなければ反省したことにならない。よってこの男はせっかくの信頼回復のチャンスを自らふいにして、一生「信頼の置けない男」としての看板を背負って生きていくハメになってしまった。(不十分=八割方は正しいという意味!)また、その件について横浜市長なども「モゴモゴ言っている」だけで、こちらもお話にならない。

                 

                ということで、皆さん、他人はともかく自分が「馬鹿に陥らない」様にがんばりましょう。

                | かまた | 時事関連 | 12:02 | comments(0) | - |
                今後に必要とされるイメージ
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                  我々は「二度と再び元には戻れない」であろうし、また戻る必要も無く、少なくとも「あの栄光をもう一度!」などといったイメージは、むしろ正常な判断を狂わす要因にすら成り得るでしょう。その意味で我々は今や(好む好まざるに関わらず)嘗て無い「全く新しいイメージ」のもと、「全く新しい世界」を目指すことを余儀なくされていると言っても過言では有りません。いや、それはもしかすると我々が過去数千年にわたって「心の片隅で密かに温め続けてきたイメージ」かも知れませんが、ただ歴史的に一度も顕在化することが無かったという意味に於ける「新しさ」なのかも知れません。

                  歴史的にこれほどの大事であれば、当然それに伴う「生みの苦しみ」も一際であって、波状的に襲い来る災いによって、凡そ不条理なものの全てが破壊し尽されることも視野に入れておく必要があるでしょう。(何故なら不条理=非論理=永続不可だからです。)

                   

                  今、この瞬間に我々の成し得ることは限られています。それは来たる未来への足掛かりを一つ一つ着実に正確に打ち込んで行くことです。その目安となるイメージは無論「みんなで良くなる。みんなで良くする」であり、「おかしいことはおかしいし変なものは変」と感じるセンスでしょう。

                  | かまた | 時事関連 | 09:08 | comments(0) | - |
                  コロナ対策は各自「論理に従い常識に照らして判断すべし」
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                    例えば「感染を防ぐ」という一点に関して言えば、論理的には「(絶対に安全な人以外の)他者との接触、接近をしない」となるはずで、具体的には「一切誰とも会わない」という行動となります。何故なら私たちには「誰が絶対に安全な人なのか知るすべが与えられていない」からです。ゆえに私たちは「感染防止(=自他の生命)」を最優先にする限りに於いて「誰とも会わない様にする」というのが唯一無二の理想的な選択肢となります。

                    重要なことは「決してこの本筋から逸れてはならない」ということです。

                     

                    一方で私たちは上記の大原則を踏まえたとしても、それとは別に「どうしても他者との接点を持たなければならない場合」が生じます。それは自他の生命と生活を維持するために最低限必要な行為、行動と言えます。

                    まず家庭内で同居する家族、身内の人々との接点を絶やす事は事実上不可能なので、こうした場合は世帯単位で「大きくひと括(くく)りの個人」とみなすしか有りません。(俗に言う「運命共同体」という概念が正しいというのでは無く、現実的にそうなっているということです。)

                    あとは「生活物資の買い出し、配達品の受け取り」などに於ける最低限の接触ぐらいであることが、ここ数週間の経験上判っており、その辺りの接触回数、接触時間などを如何に減らしていけるかについては、各自の工夫が求められるところと思われます。

                     

                    ここまで読み進めて「仕事や学校の話が欠落している」と感じる向きもあるかと思われますが、これらの組織に属している場合に重要な事は、何らかの強制力を持つそうした組織が「現時点でどれだけ生命の安全を保証してくれているか」を、考慮する必要が有ります。仮にもし「不十分」と感じ、その指示や方針に従い続けることに「不安を覚える」とすれば、(他人はどうあれ)一旦立ち止まって今一度、組織と自分との関わり方を考え直してみる必要が有ると思います。何故なら「自他の生命を優先させる事は常識」だからです。

                    その際「固定観念は禁物」です。健闘を祈ります!

                    | かまた | 時事関連 | 09:26 | comments(0) | - |
                    何故「自粛要請」にも関わらず多くの若者や人々が「ウロウロする」のか?
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                      これは「経済至上主義」によって「国民教育」の一環として無意味な消費行動をあたかも「善徳行」であるかの如く刷り込まれて来た結果なので、急に「ヤメろ!」と言われてもやめられないのは当然。言っておくが「豊かな生活」というのは華美で刺激的で珍しいものを見聞き飲み食いすることとは無関係で、生きる目的自体が「豊かな精神性」に基づいているということだよ。即ち国がそのような国民教育を行ってきたなら国民は黙っていても危機意識を共有し自ら率先して「適切な行動」を取れるものだ。

                       

                      いささか「手遅れ」の感は否めないが、これを機に日本国は「もっとまともな国民教育」に勤しんで頂きたい。

                      | かまた | 時事関連 | 08:28 | comments(0) | - |
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