HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
唐突ですが2021年のキーワードは「消失、消滅、消去」です。
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    これには「概念や価値観」などといった所謂「無形のイメージ」もあれば、それこそ目で見て明らかな「物理的事象、現象」も数多く含まれることとなるでしょうが、ここで注目すべきはこの「消失、消滅、消去」という表現は「衰退や瓦解、崩壊」などとは異なり「残渣や痕跡」を留める形ではなく、「(最終的には)あとかたもなく消え去る」ことを意味しているということです。

    昨年(2019年)も12月1日に「2020年は混迷、混沌の年」と明言し(コロナ禍等)実際その通りであったことからも、こうした(証明出来ない)霊的示唆にも「侮れない一面」があることをご理解頂けると思います。(因みに霊的事象が証明出来ない理由は「証明出来ない方が霊的に都合が良い」からに過ぎないことに思いを致すべきだ。)

     

    それらは「二分化」の延長線上にあります。

    | かまた | 時事関連 | 09:02 | comments(0) | - |
    「混迷、混沌の年」に際して
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      まず始めに、当ブログ2019年12月1日の記事を再掲します。

       

      (再掲)


       

      毎年この時期になると「さて、来年は・・・」ということとなり、ちょうど去年の今頃には「2019年は結果現象の年」という意味の記事を書かせて頂きました。因みに「結果現象を見る」とは、因果関係によって或いは論理的な帰結として生じた大小様々な事象が「明らかな形で人の識るところとなる」ということです。例えば人為的な面では、利己的な欲望や欲求に基づく(地球規模から個人レベルまでの)悪意の多くは完全に露呈し尽くし、むしろそれらが堂々とまかり通っているかのようにさえ見えます。(その意味では最早嘗ての「陰謀論」という言葉自体が死語と言って良いでしょう。)何れにせよ人々の「二分化」はほぼ完了していると見て取れます。

      こうした現状を踏まえた上で、来年(2020年)のキーワードは「混迷、混沌」となるでしょう。但しこれらは十分に配慮された表現と言えます。それは例えば、仮に真実を決定的に伝える写真(映像)であっても、それが余りにもグロテスクで生々し過ぎる場合にボカシが入るのと似ています。

      そして私たちに今、最も必要なのは「乗り切るための心の準備」ということでしょう。

       


      (再掲ここまで)

       

      申し上げたいのは、この記事は「予知、予言では無い」と言うことです。更に言えばこれはある種の「論理の帰結」だと言うことです。

      但しここで言う論理とは、必ずしも「知識や数値的データの集積」に拠るものとは限りません。何故なら「論理とは基本的に感覚するもの」だからです。例えば「美観」によって事物を直感的に「美しいか醜いか」で識別する際に、いちいち数値を引き合いに出す必要が無いのと同様に、論理もまた、それを直感するためのアンテナさえ錆びついて無い限りは、基本的に「合否の見極め」が容易に出来るものです。

       

      「論理」を感覚するアンテナを錆びつかせる要因は、一重に「自己執着に端を発するところの各種執着」に他なりません。(「自己執着」を「我欲」と読み替えても構いません。)

      多くの人は「自己に執着することで自己防衛出来る」ものと考えるのかも知れませんが、それでは全くの「本末転倒」にしかなり得ず、アンテナを失った状態では「論理的に誤った判断」が多発することとなり、その中には「致命的な結果」を招く重大なものも当然含まれるでしょう。無論、それでは自分自身を護ることなど到底適いません。

       

      言うまでもなく「論理的」とは「適切」を意味し、一方で「非論理的」とは「不適切」を意味します。更に言えば「不適切」とは「無理やり」を意味します。無理を押し通そうとすれば抵抗が生じ、圧力が増大します。それでも止めなければ「圧力は無限に増大」します。何故なら「論理が覆(くつがえ)ることは決して無い」からです。それは例えば密閉した容器の内部圧力が無限に増大するようなもので、耐えられる容器など作り様が無いのと同じ話です。つまり「論理を無視する」とはそういう恐ろしい話なのです。

       

      繰り返しますが、この先私たちは混沌、混迷の続く社会情勢の中、自らのアンテナ感度をパワーアップさせて「論理を直感」しつつ生きて行く必要があろうかと思われます。

       

       

       

      | かまた | 時事関連 | 10:20 | comments(0) | - |
      「社会性」の崩壊(2020年節分に際して)
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        およそこの世は「利己」と「利他」の二者択一でしか有り得ず、例えばその中間的な「フィフティ:フィフティ」というイメージですらも「利己」の一種に過ぎません。また、いわゆる「家族愛」「愛国心」などの一般的な「同族愛」に於いても、やはり「利己」の拡大、延長版に過ぎません。何故ならそれらは通常「容易に敵を作るメンタリティ」と言えるからです。即ち「どう転んでも心に敵を作り得ないメンタリティ、精神的環境」以外は(如何に器用に世渡りしようとも)全て「利己(=自己中心思想)」と見做されます。

        こうした「利己(的行為)」の目的は「個(=己)の優遇による個の保存」つまりどれだけ快適に末永く生き続けられるかということでしかなく、それはしばしば「種の保存」よりも「個の保存」が優先されるという、生物学的に有り得ない現象をももたらします。

         

        ところでそもそも「社会性とは何か?」ということですが、基本的には寄り添って生きる人々がそれぞれに「利他の発想」を以って社会の枠組みを構築し、発展させ、運用していくことで、相互扶助に基づいた「誰もが生きやすい明るく楽しい社会」を望み、目指す心だと思います。つまり「社会性」とは、既存の社会に合わせる形のことではなく、前述のような社会を渇望する心と言い換えても良いでしょう。

         

        今年も節分を迎え、明日はいよいよ立春です。(節分、立春が特別な意味を持つ日であることは過去記事に書いていますので、参照して下さい。)

        2020年は混迷、混沌の年であることは既に申し上げた通りですが、新型コロナウィルスの対策等、早くも混迷状態が生じています。今後は世界でも日本国内に於いても不安定要素が山積状態にある中、何が起きても不思議では有りませんが、その際「利己的」な人々に於いては一層生き辛くなるかも知れません。何故なら、その一例として蓄積する毒素(不純物)を体外に排出する能力が著しく劣化、鈍化しているに違いないからです。

        | かまた | 時事関連 | 10:43 | comments(0) | - |
        本日は2020年1月2日です。
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          昨年の12月1日に「2020年は混迷、混沌の年」となる旨書いた通り、それはもう始まっています。何故なら、2019年に生じるべくして生じた「結果現象」であるところの露呈、失墜、瓦解、崩壊などに依って、従来の(「信じたい事を信じる」などといった)希望的観測が、今後悉く打ち砕かれて行く事になろうからです。その理由は、それらの希望、願望、欲望などが一重に「論理的でなかった」からです。例えば10人の人間がいる中で、一人の人間が富や権利を独占する事は(如何に詭弁を弄しようとも)論理的では有りません。何故なら、そこには常に「不公平、不平等」という火種が付きまとう事に依り、安定性の確保が不可能となるからです。これは完全に「自己の破滅」を目的に生きているので無い限り、実に愚かな選択と言わざるを得ません。

           

          他方、世の中には「我欲に根ざした自己主張」を好まない、論理的で豊かな社会性を有した人々も少なからず存在します。無論その人たちにとっても昨年は「結果現象の年」であった訳ですが、それらはおそらく前述の「非論理的な人々」のそれとは意味合いや趣の異なるものであったはずです。ゆえに同じ「2020年は混迷、混沌の年」と言っても、(確かにその為の備えや対策は必要だとしても、)むしろその後の「社会の再建、再構築」まで視野に入れた「前向きなイメージと発想」で乗り切る事も可能かと思われます。

           

          つまり「二分化」されたそれぞれにとって、「混迷、混沌」の持つ意味、受け止め方は大きく異なるということです。

          | かまた | 時事関連 | 08:56 | comments(0) | - |
          今日は2019年12月1日です。
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            毎年この時期になると「さて、来年は・・・」ということとなり、ちょうど去年の今頃には「2019年は結果現象の年」という意味の記事を書かせて頂きました。因みに「結果現象を見る」とは、因果関係によって或いは論理的な帰結として生じた大小様々な事象が「明らかな形で人の識るところとなる」ということです。例えば人為的な面では、利己的な欲望や欲求に基づく(地球規模から個人レベルまでの)悪意の多くは完全に露呈し尽くし、むしろそれらが堂々とまかり通っているかのようにさえ見えます。(その意味では最早嘗ての「陰謀論」という言葉自体が死語と言って良いでしょう。)何れにせよ人々の「二分化」はほぼ完了していると見て取れます。

            こうした現状を踏まえた上で、来年(2020年)のキーワードは「混迷、混沌」となるでしょう。但しこれらは十分に配慮された表現と言えます。それは例えば、仮に真実を決定的に伝える写真(映像)であっても、それが余りにもグロテスクで生々し過ぎる場合にボカシが入るのと似ています。

            そして私たちに今、最も必要なのは「乗り切るための心の準備」ということでしょう。

            | かまた | 時事関連 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
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