HAL-KURSK 制作四方山話

タイトル通りです。思いつくまま、気の向くまま、ランダムに書きます。コメントやご質問は大歓迎です。
イカれた人々のイカれた言葉と行いがどうにも止まらない
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    当ブログでは2016年頃から社会や人々の「二分化」について事有る毎に指摘してきました。(詳しくは「二分化」でサイト内検索の事)そして現在ではこの「二分化」がほぼ固定化された結果として、世の中はこれまでの常識では考えられないレベルのそれこそ「イカれた人々のイカれた言葉や行い」が今や溢れ返っています。その一方でさすがにそれだけ異常な言動を日々見せつけられれば「おかしいものはおかしい」とする声が以前に増して上げやすくなっていることも事実で、今後しばらくは両者のせめぎ合いの様相を呈する事となりそうです。しかしこれは言葉を変えれば「論理と非論理の対決」となりますので、結果は自ずと見えて来るはずです。少なくともこれまでのところは霊界の決定通りなので、おそらくは今後もそうなるでしょう。

    最も重要な事は「自分が自身(という弱音の虫)に負けない」ということで、それは「流されない、毒されない自分」を意味します。もうひと頑張りです。

    | かまた | 時事関連 | 09:31 | comments(0) | - |
    「混迷、混沌の年」に際して
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      まず始めに、当ブログ2019年12月1日の記事を再掲します。

       

      (再掲)


       

      毎年この時期になると「さて、来年は・・・」ということとなり、ちょうど去年の今頃には「2019年は結果現象の年」という意味の記事を書かせて頂きました。因みに「結果現象を見る」とは、因果関係によって或いは論理的な帰結として生じた大小様々な事象が「明らかな形で人の識るところとなる」ということです。例えば人為的な面では、利己的な欲望や欲求に基づく(地球規模から個人レベルまでの)悪意の多くは完全に露呈し尽くし、むしろそれらが堂々とまかり通っているかのようにさえ見えます。(その意味では最早嘗ての「陰謀論」という言葉自体が死語と言って良いでしょう。)何れにせよ人々の「二分化」はほぼ完了していると見て取れます。

      こうした現状を踏まえた上で、来年(2020年)のキーワードは「混迷、混沌」となるでしょう。但しこれらは十分に配慮された表現と言えます。それは例えば、仮に真実を決定的に伝える写真(映像)であっても、それが余りにもグロテスクで生々し過ぎる場合にボカシが入るのと似ています。

      そして私たちに今、最も必要なのは「乗り切るための心の準備」ということでしょう。

       


      (再掲ここまで)

       

      申し上げたいのは、この記事は「予知、予言では無い」と言うことです。更に言えばこれはある種の「論理の帰結」だと言うことです。

      但しここで言う論理とは、必ずしも「知識や数値的データの集積」に拠るものとは限りません。何故なら「論理とは基本的に感覚するもの」だからです。例えば「美観」によって事物を直感的に「美しいか醜いか」で識別する際に、いちいち数値を引き合いに出す必要が無いのと同様に、論理もまた、それを直感するためのアンテナさえ錆びついて無い限りは、基本的に「合否の見極め」が容易に出来るものです。

       

      「論理」を感覚するアンテナを錆びつかせる要因は、一重に「自己執着に端を発するところの各種執着」に他なりません。(「自己執着」を「我欲」と読み替えても構いません。)

      多くの人は「自己に執着することで自己防衛出来る」ものと考えるのかも知れませんが、それでは全くの「本末転倒」にしかなり得ず、アンテナを失った状態では「論理的に誤った判断」が多発することとなり、その中には「致命的な結果」を招く重大なものも当然含まれるでしょう。無論、それでは自分自身を護ることなど到底適いません。

       

      言うまでもなく「論理的」とは「適切」を意味し、一方で「非論理的」とは「不適切」を意味します。更に言えば「不適切」とは「無理やり」を意味します。無理を押し通そうとすれば抵抗が生じ、圧力が増大します。それでも止めなければ「圧力は無限に増大」します。何故なら「論理が覆(くつがえ)ることは決して無い」からです。それは例えば密閉した容器の内部圧力が無限に増大するようなもので、耐えられる容器など作り様が無いのと同じ話です。つまり「論理を無視する」とはそういう恐ろしい話なのです。

       

      繰り返しますが、この先私たちは混沌、混迷の続く社会情勢の中、自らのアンテナ感度をパワーアップさせて「論理を直感」しつつ生きて行く必要があろうかと思われます。

       

       

       

      | かまた | 時事関連 | 10:20 | comments(0) | - |
      本日は2020年1月2日です。
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        昨年の12月1日に「2020年は混迷、混沌の年」となる旨書いた通り、それはもう始まっています。何故なら、2019年に生じるべくして生じた「結果現象」であるところの露呈、失墜、瓦解、崩壊などに依って、従来の(「信じたい事を信じる」などといった)希望的観測が、今後悉く打ち砕かれて行く事になろうからです。その理由は、それらの希望、願望、欲望などが一重に「論理的でなかった」からです。例えば10人の人間がいる中で、一人の人間が富や権利を独占する事は(如何に詭弁を弄しようとも)論理的では有りません。何故なら、そこには常に「不公平、不平等」という火種が付きまとう事に依り、安定性の確保が不可能となるからです。これは完全に「自己の破滅」を目的に生きているので無い限り、実に愚かな選択と言わざるを得ません。

         

        他方、世の中には「我欲に根ざした自己主張」を好まない、論理的で豊かな社会性を有した人々も少なからず存在します。無論その人たちにとっても昨年は「結果現象の年」であった訳ですが、それらはおそらく前述の「非論理的な人々」のそれとは意味合いや趣の異なるものであったはずです。ゆえに同じ「2020年は混迷、混沌の年」と言っても、(確かにその為の備えや対策は必要だとしても、)むしろその後の「社会の再建、再構築」まで視野に入れた「前向きなイメージと発想」で乗り切る事も可能かと思われます。

         

        つまり「二分化」されたそれぞれにとって、「混迷、混沌」の持つ意味、受け止め方は大きく異なるということです。

        | かまた | 時事関連 | 08:56 | comments(0) | - |
        今日は2019年12月1日です。
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          毎年この時期になると「さて、来年は・・・」ということとなり、ちょうど去年の今頃には「2019年は結果現象の年」という意味の記事を書かせて頂きました。因みに「結果現象を見る」とは、因果関係によって或いは論理的な帰結として生じた大小様々な事象が「明らかな形で人の識るところとなる」ということです。例えば人為的な面では、利己的な欲望や欲求に基づく(地球規模から個人レベルまでの)悪意の多くは完全に露呈し尽くし、むしろそれらが堂々とまかり通っているかのようにさえ見えます。(その意味では最早嘗ての「陰謀論」という言葉自体が死語と言って良いでしょう。)何れにせよ人々の「二分化」はほぼ完了していると見て取れます。

          こうした現状を踏まえた上で、来年(2020年)のキーワードは「混迷、混沌」となるでしょう。但しこれらは十分に配慮された表現と言えます。それは例えば、仮に真実を決定的に伝える写真(映像)であっても、それが余りにもグロテスクで生々し過ぎる場合にボカシが入るのと似ています。

          そして私たちに今、最も必要なのは「乗り切るための心の準備」ということでしょう。

          | かまた | 時事関連 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
          「悪は悪を以って制する」とは?
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            本年2019年は「結果現象の年」という当方の見立てについて、もう少し説明を加えて見たいと思います。

            2018年に巻き起こった「対峙」の流れによってより鮮明となった人間社会に於ける「(価値観の)二分化」の後に来るものは、決して相容れない価値観によってもたらされる離脱、分離、独立などの「双方の関係性の実質的な希薄化」と言っても過言ではなく、これは単純に「いたたまれない所にはいない」という、謂わば「物理的な二分化(=住み分け)」という動きに発展するかも知れません。

             

            こうした際の押さえておくべきポイントが2つ有ります。

            1つには、現状の社会構造、組織、枠組みにあくまで居座り続けようとするのは、より既存の利権や物的な執着の強い側であるということ。

            今1つは、敢えて対峙することを避けた謂わば「沈黙する人々」に対する捉え方や処遇の問題ですが、こうしたケースに於いては(結果的に)成り行き任せ=長いものに巻かれる=(社会的)責任感の欠如とみなされても致し方なく、そうした意味で(無意識に)「二分化」の一翼を担っていることになります。

             

            また「対峙」が本格的な戦いの前哨戦の如きイメージも、明らかな誤りです。何故なら現社会に於ける対峙の構図の殆どには、何がしかの「倫理的、道義的是非」を問う意図が含まれており、それは究極的には物事の解決手段としての実力行使(=戦争)の是非をめぐる二分化とも言えるからです。ですから、もし対峙から武力衝突が起きたというのであれば、それは(暴力団同士の抗争と同様に)同じ価値観を持った者同士の単なる覇権、勢力争いに過ぎません。

             

            さて、仮に今まで善意と悪意が入り混じって混沌としていた社会が、まるで遠心分離器に掛けられた如くに善と悪、或いは正義と不正義に二分化(=住み分け)されてしまったとしたら、その後いったい何が起こるのでしょうか?

            やはり特筆すべきは(善意というターゲットを失った)悪意同士の凄惨な潰し合いでしょう。何故なら善意との関わりの断たれたそのような社会では、もはや倫理や道義という概念すら存在しないであろうからで、それ即ち「自滅」を意味します。

            つまり「結果現象」には「離脱と自滅」の2つのキーワードがついて回るとも言えるでしょう。

            | かまた | 時事関連 | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
            対峙したことの意味
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              当ブログでも繰り返し取り上げてきたように、今年(2018年)は「対峙の年」で有りましたし、国際社会はもとより日本社会に於いても様々な「対峙の構図」が浮き彫りにされたことは事実です。問題は「対峙することの持つ意味合い」ですが、その多くが「強者対強者」ではなく「強者対弱者」の関係性のもとに為されたものであることは極めて重要です。

               

              振り返れば「対峙とは(強者にとっても弱者にとっても)ラストチャンス」の意味合いであったことは相違なく、その結果としてもたらされたのが社会に於ける(人間の)「二分化」と言っても過言では有りません。これは分かりやすく言えば、今まで混じり合ってグレーの色合いを呈していたものが、対峙によって本性(価値観)を曝け出す事態に追い込まれ、その結果(図らずも)白か黒かを自ら選択せざるを得なくなるということです。

               

              その際、論理的には常に「どちらが白でどちらが黒かは明白」ですが、意外にも多くの人たちがせいぜい数十年でしかない自らの経験に基づく(浅薄で矮小な)固定観念にしがみつく様には、到底驚きを禁じ得ません。(そうなると過去の偉人、賢人たちの遺した格言や歴史的教訓も全く役に立ちません!)しかしそれが自然現象であろうと人為的なものであろうと、もたらされる結果は常に「真理→道理→論理」によって導き出されたものでしか有り得ないのですが・・・。

               

              その意味で、来年は「結果の年」であり、それが人によっては「驚天動地の出来事」と感じたり「有り得ない出来事」と感じたりするであろうということです。

              | かまた | 時事関連 | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
              来年(2019年)は・・・
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                2019はたまたま語呂合わせでブレイク(brake)と読めない事もないが、そうでなくとも今年は様々な方面、事象に於いて図らずも「対峙による二分化」が鮮明となり、物事の本質が浮き彫りにされたことから、もし来年がその延長線上にあるとするなら当然それらの「結果現象」を目の当たりにすることとなり、実際そういう年であろうかと思われる。

                この「結果現象」が何を指すのかということだが、先程のブレイク(brake)に話を戻すなら、単にbrake(機能停止)かも知れないし、brake down(破壊)或いはbrake out(突発)、更にはbrake upbrake freeで表される何かかも知れないが、何れにしてもbrakeである限りは「平穏無事」という訳には行きそうもない。

                 

                肝心な事は、これらはみな原因に基づくところの「結果現象」であって、その要因は(大雑把に言えば)私たちが皆で撒いた種に依るものゆえ、一旦は甘受する必要が有り、そののち速やかに再考、再構築が為されるべきと思われる。その意味では来年は私たちにとって、より良い社会への手がかり、足がかりが得られる年になるかも知れない。

                | かまた | 時事関連 | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
                「発狂する」とはどういうことか?
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                  一言で表すなら「理性の働きがほぼ失われ、論理的に物事を理解し判断することが決定的に出来なくなった状態」で、残念ながら政治家、官僚、財界人、知識人、マスコミ関係者などの中にも顕著な例が数多く見受けられる。何れもその特徴としては「論理を逸脱した自らの言動に対して羞恥心や後ろめたさの欠片も持ち得ない」ことに尽き、結果的に図らずも「嘘やデタラメを平然と言ってのける」こととなる。

                   

                  ここでのポイントはそうした発狂状態での言動には、本人にとっての「ささやかな合理性は存在するかも知れないが、論理性が致命的に欠如している」ということで、そのこと自体が既に「自己破壊=自滅」を意味している。何故ならこの世は「真理→道理→論理」によって成り立っており、決して「合理性の産物」などではないからだ。(そのことが理解出来るか否かが「二分化」の原点とも言える。)

                   

                  ※ 論理性と合理性の違いについては、過去に「論理性と合理性の違いについて」という記事が有り、そちらを参照して下さい。

                  | かまた | 時事関連 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  そしてみんな発狂した
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                    夜の時代が終わりを遂げ、昼の時代を迎えて既に77年が経ちますが、特にここ数年の間、増々強くなった光が世の中や人の心の隅々まで射し照らし、これまで闇に存在していたあらゆる穢れの類があぶり出され、苦しみ悶えながら一斉に表層に浮き出して世の中に大混乱をもたらしている事実が、世の中の様子から窺い知れます。

                     

                    例えば国会に於けるIRカジノ法案、参議院定数6増法案然り、これらをまるでモノに憑かれたが如くゴリ押しする感覚や神経そのものが、もはや正気の沙汰とは思えません。

                    また、愛知県豊田市の小学校に於ける小1児童熱中症死亡事件然り、この件に限らず私の知る範囲でも公職に就く人々の多くが既に正気を失い、正常な物事の判断が出来ずにいるようです。

                     

                    今後もしばらくの間、今まで考えられないような事案が社会のあらゆる場で次々に人の手によって引き起こされるでしょう。しかしもし、それらが「二分化」という必要なステップの一過程であるとすれば、私たちは相応の心構えと覚悟を以ってあらゆる局面を受け入れざるを得ません。何故ならたとえどのような瞬間であれ、私たちが「生きるという意味」を見失う訳には行かないからです。

                    それは「眼前の今にベストを尽くす」ことによってのみ達成されるものと確信しています。

                    | かまた | 時事関連 | 13:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    二分化の流れが止まらない
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                      ※ 本日の記事はは多分に「霊的内容」を含むため、興味のない方はスルーして頂いて構いません。

                       

                      以前より繰り返し申し上げてきた様に、現在の「昼の時代」に即した霊界の環境整備計画(とでも申しましょうか)に基づいた大規模な改変作業は滞りなく進行中で、それが一定の時間差を以って現界に反映する際の特徴的な現象の一つとして「明確な二分化」があると言えます。それは一言で表せば、これまでのいわゆる「グレーゾーン」を排した「白と黒とに人(の思想や言動)が二分化される」という意味で、それこそが霊界の計画の(段階的な)骨子と言っても良いでしょう。

                      となれば「グレー」はもはや存在出来ない色となり、強いて言えば嘗てのグレーは霊界の改変によって黒に分類されることとなるはずです。何故なら色の見え方は「価値観」がもたらすものであり、その価値観自体が霊界の改変を通じて180度転換されつつあるからです。(昨今のセクハラ問題などが良い例です。)

                      結局、霊界の改変に対して誰も抗い得ていないのが現状です。

                       

                      こうした「二分化」の進行によって、気が付けば「嘘の定義」すらも変わってしまいました。というのも、昔であれば「嘘は都合の悪い真実を悟られない様にするための(バレない前提の)もの」という認識でしたが、現在はそうではなく、「嘘は都合の良いことを単に強弁する(=言い張る)こと」でしかなく、バレようがバレまいが関係ない、ということの様です。(一連の政治家、官僚の答弁などが良い例です。)

                      そしてその結果何が起きるかということですが、単純に「嘘をつく人の卑しさ、醜さが引き立つだけ」でしか有り得ず、それは同時に自らの人間性の欠落(=人間的劣化)を進んで世に知らしめる行為に他なりません。

                      つまり人(の中の或る人々)はとうとう(自覚のないまま)「自滅」の引き金を引き始めたということです。(そんなこと誰も頼んでいません。)

                       

                      振り返れば当ブログでは2016年「変動、変化の年」、2017年「瓦解、崩壊の年」、そして2018年の今年は「対峙の年」というように毎年、年始めにその年の(予測ではなく)霊的進捗状況を明示させて頂いてきたつもりであり、例えば森友、加計問題で言えば、昨年の内に官邸や内閣府、財務省などの論理性、整合性は完全に「瓦解、崩壊」していたことが(改ざんや隠蔽事実の露見という形で)既に判明しています。ということは、今年になって現在私たち国民が「対峙」しているものは、実は既に崩壊して実体を失った構造体の「残渣或いは残像」に過ぎないということになります。(亡霊とかゾンビとかといった表現は好きでは有りません。)

                      そんなものとも(億劫がって)まともに対峙出来ないようでは、それこそ「対峙する側の責任やヤル気」に問題が有ると言われても致し方有りません。言い換えれば「対峙」とは、個々の人々の心と行ないが白であるのか黒であるのかを決する正念場でもあるのです。何故なら前段で申し上げた如く(霊界の意向により)グレーゾーンが廃止され、選択肢として消滅したからです。

                       

                      故にこの時期、私たちには「自分なりの対峙」がどうしても必要ということです。

                      | かまた | 時事関連 | 12:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
                      こんな時代に於ける「万全の備え」とは
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                        昨年(2017年)は社会の様々な事象について事有る毎に疑義を呈し、関わりを持つ人々に向けて改善を求め、自覚を促すための発信に重点を置いて来ましたが、2018年の年が開けてからは、もはや(基本的に)「その時期は過ぎた」ものとして、そうした社会に生きる上での「備え」に関する内容に重点がシフトして行くものと思われます。

                         

                        その理由は2つ有ります。

                        ひとつは「二分化」が固定的なものと成りつつ有り、当事者に対し具体例を以って警鐘を鳴らす事の意味が薄れつつあること。

                        今ひとつは来たるべき「対峙(=不服従)の時代」に耐え得る「万全の備え」が必要且つ喫緊の課題となるため。

                         

                        そう、流れや圧力に屈することなく「おかしいものはおかしい」として「対峙する(=真正面から向き合っていく)」ためには、そのための「内面的な備え」が必要不可欠であることは言うまでも有りません。しかし今、それをしなければ自分を取り巻く社会環境が益々悪くなる一方であって、放って置いて良くなる事は決して有りません。つまり「自分自身の備えの有無」は、私たち一人ひとりが個別に取り組むべき「死活問題」なのです。

                        例えば私を含むその場の10人の内、私ひとりが「備えを怠っていた」とすれば、他の9人は良くなり私ひとりが「くたばる」ということです。(「他人にあやかろう」というズルい考えは「霊的」に認められません。)

                         

                        ところで今の時代ほど「人間性」という言葉が軽んじられ、まるで「絵空事」のように扱われている時代は嘗てなかった様に思います。取り分けビジネスの世界では殆ど「死語」と化しているのではと思えるほどです。

                        その理由はもちろん「競争社会」「格差社会」では無用を通り越して「邪魔者」以外の何ものでもないからです。

                        つまり「人間社会」で在りながらフィルターでわざわざ「人間性」を除去し、その上で構築されているのが今の主要な社会システムということです。それが証拠に「AI(人口知能)化、ロボット化、人員削減」の話に嬉々として跳びついて行くでは有りませんか。(要は人間が「嫌い」なのです。)

                         

                        しかし一方で(憲法はもとより)「法律全般」が依然として歴史的、文化的、精神的伝統に基づいているものであることは否めません。と言うことは、そこでは当然「常識、良識、人格、品格、人間性、社会性(柔軟性、協調性)」などといった所謂旧来型の「人間的素養」が尺度として用いられ、それらの有無が問題となり、平たく言えば「(社会人として)人間的素養を著しく欠いた行為=犯罪」ということだと思います。

                         

                        思えばこのところ「一流の学歴、経歴、社会的地位や立場を有した人々」による犯罪や犯罪紛いの行為が跡を絶ちません。こうした事実は社会の中枢がすでに「非人間的で反社会的風潮に毒されている」ことを示しており、逆にこれで社会が「崩壊」しない方が不思議です。

                        いえ、実はすでに崩壊しているのです。その証拠として私たちは(信じ難い事に!)裁判所や検察、或いは警察が恣意的に「法の精神」に反し「非人間的で反社会的」な動きをするのを度々目撃しています。(そこでは苦しんでいる人々の訴えが放置され命が守られていません。)

                         

                        ここで重要な認識は、現在日本に於ける55%の人々が(自覚の無いまま)「崩壊に巻き込まれる側」に立っており、危機的状況にあるという事であって、残りの45%の人々が「崩壊に巻き込まれることなく(崩壊後の)再建を目指せる立ち位置にいる」という事だと思います。ただ、それを可能にするためにはその前にどうしても「対峙」というハードルを(私たち一人ひとりが)クリアしておかなければなりません。

                        そこでは一個の人間としての「人間力」が問われる事になりますが、もちろんそれは「学歴、経歴、社会的地位や立場」の事では有りません。(それを以って人間力と考える人の多くが崩壊に巻き込まれるでしょう。)

                         

                        「人間力」とは前述した「人間的素養の豊かさ」であって、集約すれば「人間性(=利他の精神)」であり、その証しとして、もしそれを失えば「常識、良識、人格、品格、社会性」など豊かで円滑な社会生活を送るための全てを失うこととなり、精神的にやせ衰えた貧弱で見苦しい人間に成り下がってしまうでしょう。(悲しいかな、現社会はそうした非人間的で反社会的な人間像の具体例に事欠きません。)

                         

                        要は「みんなで良くなろう、みんなで良くしよう」という心こそが、これからの時代を生き抜く「万全の備え」そのものになるということです。

                        | かまた | 時事関連 | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
                        政界は社会の縮図である。
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                          どうやら旧来の「人畜無害」的な(建前上の)社会構造、システムがここに来て瓦解、崩壊をきたし、それまでそこに抱合されていた個々の人々が「本音」を剥き出しにし始めた事で、事実上の「人々の二分化」が急速に進行中のようだ。

                          「事実上の」というのは、これまでも内面的な「二分化」は存在したが、それが自他共に認識可能な形として顕在化してきたという事だ。

                           

                          その理由はおそらく「我慢、辛抱たまらなくなったから」或いは「好機到来と見て」という事かも知れないが、何れにしても、それは本当の理由ではなく、「ブレーキを外された」または「箍(たが)を外された」というのが正しい。(しかもそういった自覚が無い故に、制御も出来ない。)しかし「誰に?」

                          もちろん、「そういうことが出来るもの」に決まっている。

                           

                          今、このような事が私たちの人間社会全般で起こっている、ということは、これは「私たち全員が直面している(=突き付けられている)自分自身の問題」ということであって、「誰彼問わず他人事ではない」と知るべきであり、ただ政治の世界では(あたかも舞台劇の如く)それがコンパクトな分り易い形で行われているに過ぎない。

                          故に私たちはこれを契機として、今一度(おそらく最後のチャンスとなろうが)自身の身の振り方を見直し、考え直す必要があろうと思う。

                           

                          ただ(少数ではあるが)こうした懸念に無縁の人々もいることはいる。それは従来より「建前と本音の差異が極めて小さく、人間性、社会性共に豊かな人々」であり、二分化の一方を担う人々のことだ。

                           

                          なお「二分化」自体が「他に方法がない場合の最終手段」であり、本来は「全員が豊かな人間性を有すること」を目標とし、理想とすべきであるのは言うまでもない。だが残念ながら、よろず物事にはタイムリミットがあるのだ。

                          | かまた | 時事関連 | 09:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
                          遂に人間の二分化が始まったのか?
                          0
                            僅か10年くらいの間に、社会も人もずいぶん変わってしまったように思う。(ドスンと音を立ててレベルダウンした感じ・・・)

                            これまで人間は善悪の間(はざま)に在って、「これではマズい」と思えば後戻りも出来たし、やり直しも効いた様に思う。自分も幾度と無くそういう経験が有るし、人間はそれが許されるものだと思いつつ自分にも他人(ひと)にも処してきたつもりだ。とにかく「最終的に善に向くことが出来れば良い」ものと信じて生きて来たが、ここに来て「いよいよそうでもなくなって来た」感がある。つまりそれぞれに大小高低の差こそあれ、大別して「善と悪とに固定化」が進み、「審判の為の明確な二分化」が進行しているのではないかと思える、そんな気配を感じるのだ。もしこれが「完了」してしまえば、タイムリミットが過ぎて、全てが「手遅れ」という認識に移行することになる。

                            このような「善悪に依る選別的イメージ」は「聖書」特有のもので「仏教や神道には存在しない」というのは少し違っていて、仏教に於ける「末法」とは、あくまでもその時点で「ホトケ(=夜)の時代から神(=昼)の時代」に引き継がれる事を前提に説かれたと考えれば納得出来るはずで、神道に於いてはもっぱら「口述」のため歴史的に体系化され難かった事はあるにせよ、「審判(=立て分け)」の概念が存在する事は間違い無い。
                            何れにせよ「心ある人々」にとっては従来通り、「人事を尽くして天命を待つ」姿勢を変更する必要は無いものの、「どこに(何に)対して、より多くの力を注ぐべきか」という配分は、状況の変化に応じて逐次変えて行かざるを得ないのかも知れない。つまり「モード」が変わるという意味である。

                            とにかく「残された僅かな時間をどう使うか」は、万人にとっての課題だと思う次第です。
                            | かまた | 時事関連 | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
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